こんばんは、トーコです。
今日は、伊福部昭の『音楽入門』です。
■あらすじ
直感的なものを理解するには、権威的なものを否定し、原始的な感覚を信じなければならない。
真に教養的と呼ばれているものを否定する心構えが必要です。
■作品を読んで
あらすじが非常に抽象的になりましたが、まえがきはこんな感じです。
ところでですが、伊福部昭という方について紹介します。
この人は作曲家で様々な映画音楽を作曲しました。代表的なものでいえばゴジラです。
あの独特なリズムは著者によってつくられています。そのほかにも数々の作品があります。
また、著者は様々な作曲理論も残しており、教育者としての業績も数多くあります。
さて、話を作品に戻しましょう。
著者はまず冒頭で、博物館で美術品を鑑賞する中学生の様子から音楽鑑賞について展開するための布石を問いかけます。
何か絶対的な権威に頼ろうとする態度を改めないといけません。
余談ですが、2018年1年の世相として絶対的な権威に頼るという風潮が大きかったので、なおのこと注意しないといけないかもしれません。とラジオ番組で言ってました。
それから、音楽は律動、旋律、和声の3要素でできており、これらの要素が人々の心の中に強く働きかけます。
特に重視したのが、律動です。とはいえ、作品の中で著者はそこまで明確に言い切っているわけではないんですけどね。
まあ、確かに拍子というものを重視していると言えばその通りです。著者の作曲した作品を聞けばよくわかります。例えばゴジラなんてリズムが独特だし、アイヌ音楽に影響されているという背景を考えれば何となく結びつきます。
著者の作曲した他の作品でも同様です。結構独特のリズムが流れてきます。なかなか頭の中にこびりつて離れません。
音楽の3要素を解説した後は、「音楽は音楽以外の何ものも表現しない」というストラヴィンスキーという作曲家の言葉を引用します。
音楽は言語のようにある特定なものを説明するものではない、というのが意味ですが、確かに私たちも聞きながら意味を考えることは多々あります。
そこからどんどん理論を奥に進ませます。マラルメというフランスの文学者も音楽を思想に置き換えることで、実はストラヴィンスキーと似たような言葉を残しています。
でも、思想で書くのではないと言いながら、実は逆でその中には深い思想が隠されています。音楽も同じです。3要素をうまい理屈だけで配置する音群が音楽ではないのです。
そのほか音楽をめぐる前提条件をあぶりだしてから、音楽の歴史を解説していきます。
最後は民族性という点にたどり着きます。著者の言う民族性は、自分の民族性を意識したうえで他の伝統を取り入れた作品が書けるということだと思います。
要は作曲するうえで民族性というものを忘れずに反映させるなり、よその伝統を取り入れることという意味でしょう。
またこじつけるようで申し訳ないですが、確かに伊福部昭の音楽はアイヌ音楽の影響を受けているので、民族性を最後に持ってくるのはなかなか筋が通っています。
それにしても、この本は解説の鷺巣詩郎(シン・ゴジラの作曲者)も言ってたのですが、音楽はリズムが大切といいながら文章も見事にリズムに乗ってうまく解説していること、1950年代に出版された本ですが、理論的にはそこまで色あせていないことが最大の特徴かもしれません。
最後ですが、趣味として音楽をやっている人間からですが、音楽の凄いところは楽譜があれば再現が可能なことです。
ただ、楽譜はあくまで設計図なのであって様々な考え方をする人間が集まるオーケストラなどでは、作曲者の意図する通りに再現するかといえばそうでない気がします。
この本を書いた目的って、鑑賞ポイントを伝えるなら音楽に乗せるより、文章で表現する方が伝わるからだからかもしれません。
■最後に
音楽を構成するうえでリズムというのが至極重要なものであることがよくわかります。現代の音楽やポップスを聞いても、いかに乗れるリズムかという点は結構重視されています。
また、音楽鑑賞するという行為についての入門でもありますし、音楽にあまりなじみのない方でも音楽入門として得られるものがあるでしょう。
そしてこの作品、180ページ程度の非常に薄い本です。
最初はとっつきにくい本かもしれませんが、リズミカルに音楽理論が進んでいく本です。