こんばんわ、トーコです。
今日は、福岡伸一の『ゆく川の流れは、動的平衡』です。
■あらすじ
日常にある科学や自然から、福岡ハカセの専門分野である生命や様々なものにつながっていく、流れを描いています。
朝日新聞に連載されていたエッセイが書籍化されました。
■作品を読んで
まずは、これまでに紹介した福岡ハカセの作品です。
この作品を読めば、ハカセのキーワードである「動的平衡」の意味がよくわかる気がします。おさらいのため、引用します。
生命は環境から絶えず物質を取り入れている。植物は炭酸同化作用という形で、動物は他の声明を食らうという形で、それと同時に生命は環境に絶えず物質を供給している。呼吸や排泄、あるいは食べられるという形で、手渡されつつ、手渡す。これは利他性に他ならない。手渡されつつ、一瞬、自らの生命をともし、また他者に手渡す行為、全ての声明はこの流れの中にある。これが動的平衡である。
この部分を読んで、トーコは2つの発見をします。
1つ目は、だからタイトルが「ゆく川の流れは…」なのだ、ということ。生命の循環は、まさに川の流れのようにどんどん続いているからなのでしょう。
2つ目は、ここでまさかの「利他」という言葉が出てきます。302.『料理と利他』という作品では、タイトルの通りで料理は利他と言いますが、生命もまさにそれとおなじこと。
誰かに手渡すということは、料理と一緒。というか、世の中のほとんどのものは利他という言葉で片付けることができるのでは、と思ったりもします。この利他という言葉は覚えておきましょうっか。
そして、この作品がコロナ渦がやってきたところで連載が終了します。巻頭の序文は、出版が近づいてきたときに書かれたもの。
なので、ウイルスについてもこう言及しています。
ウイルスは宿主さえあれば感染を拡大し、次々と変異を繰り返す。明らかなことは、ウイルスを完全に撲滅したり、駆逐することは出来ない。変異株の出現を止めることもできないということである。そのうち従来のワクチンが効かない変異株が出現することも間違いない。自然は、押せば押し返すし、沈めようとすれば浮かび上がってくる。
だから、変異株の出現のたびに過剰反応するのではなく、結局のところ、ウイルスとの動的平衡を探るしかない。ウイルスも自然の環のひとつとして、宿主に激しいダメージを与えるよりも、できるだけ安定した状態で共存できる方向へ動く。
…中略
もし運悪く感染しても、重症化を防ぐ医療がすぐに受けられるような体制を整備する。これが、人間がウイルスにできる精一杯のことだ。あとは個々人が感染対策を心がけ、自分の免疫力を信じること。そうすればやがてコロナも”新型”ではなく”普通”の常在ウイルスになる日が来る。それがウイルスとの動的平衡が成立する時だ。
かなり長い引用になりましたが、ウイルスとの共存だって動的平衡が適用されるときがくるのでしょう。さて、いつになるんだ…。
それでは、ここから2015年12月から2020年3月までの月1エッセイの連載が収録された本書を見ていきましょう。
この作品は、見上げた空、風、匂いをもとに考えたこと、気がついたことを、生命や文学、絵画などと織り交ぜたエッセイです。
ここでも、連載エッセイのタイトルは、「福岡伸一の動的平衡」。登場するタイミングが遅いけど、このエッセイのタイトルにもきちんと動的平衡が含まれていました。
そして、エッセイで描かれている内容は非常に多岐にわたります。
たとえば、ある時は男と女について描いています。
というのも、30億年前は女しかいませんでした。女が欲が出まして、何かを生み出します、それが男です。
遺伝子の運び屋としての”男”。単なる使いっ走りでいいので、女の急造品としての男。いらないものをとっただけのもの。男性のある部分にはその名残があるのだとか。
女のトーコが言うのもなんですけど、その部分だけは見てみたいです。見られる日が来るかしら…。
しかも男性の方が、威張っているくせに実はもろいし、病気になりやすいし、ストレスにも弱い。
ちなみに、女性の方が多い死因は、老衰です。男性の大半は天寿を全うする前に亡くなるようです、統計上。
多田富雄はこう言います。女は存在、男は現象。
冒頭に引用しているのはボーヴォワールの有名な言葉ですが、「男に生まれるのではなく、男になる」が生物学上正しいのです。
威張り散らしているところによって、いつの間にか男女が逆転するんだから、ある意味不思議。
女たちよ、生物学的には男なんて女の急造品なんですけどね、と心の中で思って行動起こせば怖くない、って違うか。
かと思えば、ハーバード大学の書籍部で見た「TSUKIJI」と書かれた分厚い本が売られていました。
さらにその中身を読んでみると、著名な文化人類学者のテオドル・ベスタ―が築地の歴史、文化、成り立ち、複雑な市場のしくみなど、調査研究をしつくして書かれていました。
そんな本がハーバード大学で売られてるのか、と読んでいるこっちも驚嘆します。
ハカセはあることに気がついて驚嘆します。それがこれ。
築地は単なる場所ではない。モノとヒトとカネとエネルギーと情報が絶え間なく流れ、交換される動的平衡の結節点。つまり築地はひとつの有機体としてまさに生きている。類まれなる生命論の本だった。
生態系から別のところに無理やり移植してしまえば、関係性はなくなり、平衡は失われます。
この予言の通りのことが起こってしまいました。豊洲に市場機能が移っても、築地場外市場は相変わらず残っています。築地市場があった場所はぽっかりと穴が空いています。
つまり、動的平衡が破壊され、有機体の崩壊を見ています。それに気がつくがまさかの外国に行った時というものなんだか皮肉です。
おそらく、「TSUKIJI」を書いた著者が1番築地市場の効果について知っていたのでは…。そんな気がしてならないです。
他にも、絵画から見たり、ノーベル賞の受賞から見たり、昨今の時勢からのトピックだったり、と内容は多岐にわたっています。
最後に、1つだけ。
これはすごくためになったので、覚えてほしいなあ、という意味で取り上げます。
最近は文章は電子化されていますが、読むことに関しては紙の方がいいという人もまだまだいると思います。トーコも然りですけど。
しかし、生物学的にみると、生物の視覚は動くものには敏感です。じっくり観察したり、分析する時は対象物が止まっている必要があります。
スマホやPCの文字は、絶えず動いています。スマホやPCは電気的な処理でピクセルを高速で明減させているため、文字や画像は細かく震えています。
そのため、脳に不要な緊張を強いている可能性があります。だから落ち着いて読むことができないのです。
紙で読むのも悪くないし、むしろ画面で読むのもなかなかに限界があるかもしれない。とはいえ、デジタルネイティブ世代には関係ないかもしれませんが。
デジタル上で読むこともできますが、資料を読むときは紙で読むのも決して悪くはないです。本も然りですよ。
■最後に
福岡ハカセの不変のテーマ「動的平衡」について書かれたエッセイです。
内容も科学だけでなく、絵画や文学、身近な事象や時勢など、様々な話題から紐解いています。読み物としてすごくためになります。