こんばんわ、トーコです。
今日は、アントニオ・タブッキの『とるにたらないちいさないきちがい』です。
■あらすじ
アントニオ・タブッキはイタリア出身の作家です。また、同時にポルトガルをこよなく愛してもいたそうです。
この作品は、表題作を含めた11編の短編が収められています。
■作品を読んで
1番最初の作品を読んだときに思ったのは、作品の世界観には引き込まれました。
だが、登場人物の関係性を理解するのが何とも難解です。
最初の作品は法廷の場面から始まります。判事のフェデリーコと被告人レオ、傍聴席にいるトニーノは同じ学び舎で学んだ旧友でした。
法廷で再開するとは何たることやら…。
この3人はある共通点がありました。同じマッダレーナという女を好きだったのです。
傍聴席のトニーノは誰もがマッダレーナを好きだったころに感傷に浸っていました。
登場人物みんながマッダレーナのことが好きでした。
しかし、誰もトニーノの想いに気が付くことなく、法廷では淡々とフェデリーコは判事として、被告人のレオは淡々と答弁に答えていました。まるで、それぞれがそれぞれの役をこなすかのように。
トニーノの目からは過去と現在がものすごく混在しています。ひょっとすると、トニーノにとってはこの状況がにわかに信じられない部分もあるのかもしれません。
でも、読み手である私たちは、トニーノの語りで物語が進む以上、トニーノを頼って読むしかありません。
トニーノの見ている世界はまるで何かの映像作品のようです。過去の目撃者として、現在の法廷の様子の証言者として。
かつての仲間が、歳月を経て再会しました。ただ、皮肉なことは、判事と被告人として。
歳月という名の「とるにたらないちいさないきちがい」がこうして月日を経て判事、被告人として再会をもたらしたのでしょう。
ただ一つ違うことといえば、区切れも尺度もなしに世界を読みといていくことができなくなっていることでしょうか。
子どものように無邪気にすべてを純粋に見ることなんてできなくなってしまったのですね。
なんという皮肉な結末。
1篇しか取り上げませんでしたが、この短編集全体が映像作品のようです。
当事者が当事者っぽくなく、第3者という視点から映像のコマのように描写されています。
おかげで、若干ですが登場人物の関係性がうまくつかみきれません。
ただ、私たちは作品の世界を静かにのぞき込むことができるのです。
■最後に
ひらがなで書かれた「とるにたらないちいさないきちがい」が意外と読みにくいです。
でも、作品自体は、過去、現在が様々な登場人物の視点から織り交ぜられています。
すごく映像作品を見ているかの感覚に陥れることができる不思議な作品です。
[…] このブログでも紹介しています。確か、これ。169.「とるにたらないちいさないきちがい」 […]