こんばんは、トーコです。
今日は、隈研吾の『点・線・面』です。
■あらすじ
前作「負ける建築」から早16年。コンクリートによる大量生産の時代から次の建築が求められるのでは、と著者は考えた。
しかし、その時にはどう負けるかという点についての答えは示せなかった。
そこで今回は、点・線・面の新しいあり方を探る。どんな扉が開くのだろうか。
■作品を読んで
著者の隈研吾は、新国立競技場を設計した人でもおなじみです。
新国立競技場の完成映像を見てあんなバカでかい施設でなぜ木を使用したのか全くもって謎だなあ、と思いました。
それによく見てると、太宰府天満宮近くのスタバを思い出してしますのです。あれも隈研吾建築で、すごい木の棒がたくさん刺さっていたなあ、という記憶を思い出します。
さて、タイトルである「点・線・面」ですが、これは元ネタがあります。
抽象主義でおなじみの(絵画に疎い人にはなんのこっちゃですが)カンディンスキーが出した方法序説と同じタイトルなのです。
点と線と面は、横並びに同列に論じられなければならないものなのに、実はそういった方向で方法序説を書いた理論書は実はない。
カンディンスキーは結構画期的なことをしたのです。話は脱線しますが、カンディンスキーの抽象主義の絵画、意味不明です。
だからなのでしょうか。惹かれた部分があったそうです。にしても、これを高校生の時に読んだってすごい。
とはいえ、カンディンスキーの「点・線・面」を読んで全面的に納得かというとそうではないようです。
それにしても、コルビュジエ批判に近いことになってるなあ、と思いました。いやすごいんですよ、コルビュジエの作品は世界遺産にもなってるんですから。
そもそも、20世紀の建築自体がヴォリュームと線の抗争の時代だっとそうです。
コルビュジエは、ヴォリュームをとり、コンクリートで表現しました。ヴォリュームを表現するにはコンクリートが向いてますし、何より仕事が早い。おそらく木の棒をうまく組み合わせるよりは、早く施工ができます。
なんてったって、型枠を組み立ててコンクリートを流し込んで、温度管理をしっかりすれば出来上がるのですから。複雑な技法で組み合わせるよりは熟練度の低い職人でもできるのですから。
ところが、日本人、特に著者にとってはコンクリートの建物が受け付けないと述べています。完全に閉じられない日本の木造建築があっていたのです。
著者の建築は、この完全に閉じられない日本の木造建築を追いかけているのでしょうね。
著者の建築作品は、従来のコンクリートに頼らない方法で点・線・面を表現し続けています。もちろんこの3つは、三位一体ですよ。
新国立競技場のように木で線を表現し、石や瓦を使って点を表現する。時にはカーボンファイバーやプレキャストコンクリートで表現する。
布で傘を作り、ジッパーで固定する、面の建築。様々な物質を使ってヴォリュームと戦っています。
最後に著者は、しなやかな面を用いて新しい建築に向かっていけないだろうか、と述べて閉じます。
以上が、著者なりの「点・線・面」の解釈なのです。すごく方法論としては面白く、著者の建築作品の基本的な考え方が見て取れます。
今後も著者の挑戦はまだまだ続くようです。今度は一体どんな建築を見ることができるのでしょうかね。
■最後に
カンディンスキーの「点・線・面」と最近の物理学から、著者なりの「点・線・面」の方法序説を整理していきます。
この3つが1つも欠けることなく、建築物としての表現をし続ける著者の飽くなき挑戦は続きます。
この作品は、著者の建築を見ていく上でのヒントにもなります。