こんばんわ、トーコです。
今日は、長田弘の『深呼吸の必要』です。
■あらすじ
きみはいつおとなになったんだろう、とリフレインする問いかけの中に懐かしいきらめきを掬いあげる「あのときかもしれない」など。
他にも様々な作品が収録されています。
深呼吸が必要なときに読みたくなる本。
■作品を読んで
長田弘の作品は以前にも紹介しているので、よかったら併せてどうぞ。
この作品の半分は、「あのときかもしれない」という詩です。
そして冒頭からなかなか考えさせられます。「きみはいつおとなになったんだろう」と。
それから、突然おとなになったのではなく、気がついてみたらおとなになっていたと続きます。
結構ひらがなが多く読みやすいなと思う反面、単純だけど普段全く考えもしなければ意識もしないことに気がつきます。
この問い、実は結構難しいです。トーコ自身も言われてみればいつの間にかおとなになっていたし、境目どこって言われると即答はできないです。
では、おとなになった「あのとき」はどこなのでしょう。
著者はこう言います。これが1番のおとなになったという核の部分でしょうね。
そうしてきみは、きみについてのぜんぶのことを自分で決めなくちゃならなくなっていったのだった。つまり、ほかの誰にも代わってもらえない一人の自分に、きみはなっていった。
長い謎が解けたように、なんか素直に納得できました。あー、なるほど。
確かに、いつの間にやらいろいろなことを自分で決めてきたなあ、と。
仕事、恋愛、住む場所はもちろんのこと、1人で暮らしていれば今日の晩御飯、携帯電話の機種、車を買うなど。
大なり小なり様々なことを言われてみれば決めています。気がつけば自分の身の回りのことを決めてきたように思います。
ここから、おとなになった「あのとき」を見つけていきます。
1人で歩けるようになったとき、遠くに行けるようになったとき、背の高さの限界を知ったとき、「なぜ」という言葉を口にしなくなったとき、人を好きになることの意味を分かったとき、こころが痛いということの意味が分かったとき。
おそらく誰もが味わったことのある瞬間がおとなになった「あのとき」を振り返ります。
共感できるポイントはたくさんあります。言われてみればなるほどね、と思いますよ。
そして私たちはその「あのとき」に帰ることができるのです。ちょっとした痛みとともに。
トーコは特に遠くに行けるようになったときが1番のなるほどポイント。
初めて1人で海外旅行に出かけて戻ってきたとき。特に学生時代の終りに2週間1人でヨーロッパを回った時。
いろんなものを見れて楽しいし、時にはしんどいこともありましたが、自分はどこへでも行けるんだってわかったことが大きいです。
自分の力でどこへでも行けるとわかれば、それこそ自分に合う靴を履けばどこだって行けるのですから。
社会人になり、幾度となく落ち込むことも先に進めないなと感じることもありましたが、自分の足でどこにでも行けるじゃないか、と思えばあんまり怖くなかったっけ。
あ、自分に合う靴を履けばどこだって行けるは、須賀敦子の「ユルスナ-ルの靴」からです。
他にも紹介しきれていないですが、様々な詩があります。
どれも単純だけど、深く考えてしまいます。
■最後に
詩の魅力は単純な言葉で深いことが書かれており、じっくり考えさせられるところな気がします。
この作品は特にそうです。「あのとき」を深くじっくり考えてしまいます。
深呼吸が必要だけど、その奥の深い世界があります。