こんばんわ、トーコです。
今日は、多和田葉子の『百年の散歩』です。
■あらすじ
ベルリンには様々な通りがある。カント、マルクス、マヤコフスキーなどの偉人。
著者から見る愛すべきベルリンの風景は何なのか。そんな散歩の記録。
■作品を読んで
なんというか、どこに連れていかれるのかが分からない、なんだか迷宮に入り込んだな、という印象です。
例えば、のっけからこんな文章。
わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。
喫茶店なんだろうけど、一体どんな店ですか、とツッコみたくなります。
冒頭から一体何が始まるんだろうとわくわくさせてくれる導入部です。
店に入れば懐かしさがこみ上げてくる。
タバコの自動販売機と公衆電話が置かれてたであろうスペース。白壁の喫茶店が多い中で珍しいレンガの壁。
ここで、著者はベルリンの壁をさりげなく思い出します。
こうやって書かれることで、読者はそういえばベルリンには閉ざされた壁があったという歴史を思い出します。
それから、70年代から80年代の著者の体験したドイツがさりげなくちりばめられます。
さらに、レンガの話に戻り、喫茶店にいる人の話へ…と徐々に「散歩」していきます。
何がすごいって、キーワードとそのエピソードを断片的に語っていて、一見脈絡のないように話が進んでいるように見えます。
しかし、実はきちんと筋道がうまく通っていて、とっ散らかっていない。
これはすごいこと。これができるって本当にすごい、書き手としても。
そして、すっきりしていて読み手も読みやすい。
こんな感じで、ベルリンの街を構成する通りの名前になっている人物に思いを寄せ、通りにあるモニュメントや店にいる人から過去や出来事に結び付けて、物語として昇華しています。
それに、これはあとがきにも書かれていますが、実在の通りの実在の店がきちんと描かれていますので、google mapできちんと確認し、追いかけることができるのです。
うむ、テクノロジーの発達はすごい。
この物語のところどころに「あの人」が登場します。
実はこの「あの人」、最後まで正体がつかめません。
街歩きに幻影のように伴い、話しかける姿はどこか意味深ですが、最後にどんでん返しが待っています。
まさか、一緒に住んでいる人間と出会ったばかりのころのようにもう1度出会いなおしたいという願望が投影されていたとは。
なんか、トーコは勝手にロマンチックな展開を期待していたので、拍子抜け。
なんだか、街を歩いているというより、ちょっとダークな面をもちながら漂う物語です。
■最後に
著者から見たベルリンは通りにある隠された歴史や人の想い、甘い思い出が、たくさん詰まっているようです。
街を歩きつつも、様々な思いが漂流する物語です。
[…] 235.『雪の練習生』、241.『百年の散歩』 […]