こんばんは、トーコです。
今日は、寺西重郎の『日本型資本主義』です。
■作品を読んで
皆さんは、ウェーバーという人の書いた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本を知っていますか。
この本は、さっくりと要約すると、ヨーロッパでの資本主義の発達は、キリスト教の中でもプロテスタントの持つ禁欲主義が職業感に大きな影響を与え、ひいては資本主義の発展に寄与したということを主張します。
さっくりと要約しましたが、この「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は非常に難解です。大学生のころトーコもこの本についての講義を取りましたが、まあ、授業だけ聞いてもさっぱりわからず、ネットで調べて解説を読み、何とか試験を乗り越えた思い出があります。
ウェーバーという人は、資本主義の発展の要因を宗教に着目し、西洋の場合はプロテスタントの禁欲主義だと主張しました。
さて、これが日本にかちりと当てはまるのでしょうか。まあ、無理があるのは自明のことですよね。
それに、多くの人は、日本の資本主義の発展は大体明治以降に入ってきて、戦後の高度経済成長期に一気に発達したのでは、とイメージすることでしょう。
著者はこのような考えを一蹴し、鎌倉時代の仏教の革新に日本の資本主義の端を見、江戸時代の商業と小生産者による経済成長があった。この上に、明治時代のからの西洋の技術の来航による産業革命が進められます。
鎌倉時代の仏教って様々な宗派が生まれます。教科書ではこれらを暗記することに終始してしまいますが、のちの社会の発展に影響を与えたという意味とこうして流れとしてみると、歴史っておもしろいものです。
また、思想的な特徴も見えてきます。日本の場合は至極仏教的で、身近な他者を対象とします。これは、キリスト教の世界観とは逆です。キリスト教は身近な他者への関心は否定されていますので。
仏教に支えられる成長というのは江戸時代の高度経済成長につながります。
江戸時代の高度経済の要因としては主に3つ。
- 首都江戸が巨大な消費地になったこと
- 海運業の発達
- 道徳律の発展
ここでは、cの道徳律の発展について取り上げます。身分の固定化が道徳律の普及に一役買います。江戸時代の道徳律の中心は、勤勉、倹約、正直が主です。
どこかで聞いたことがあるかと思います。なんせ、現代まで脈々と続いていることですから。
西洋との出会いから、資本主義の精神にも種類があることを述べます。
具体的には、日本の仏教的な資本主義、西洋のキリスト教的な資本主義、中国や韓国の東アジアの儒教的な資本主義に分かれます。
この分け方もなんだか、政治的なものに若干共通することがあるのではなかろうか…と思ってしまいます。それだけ、異種共存の時代がやってきているというわけです。
日本の資本主義にもいいところはたくさんあります。決してダメなわけではないのです。私たちは少しずつでもいいので、発信することが必要なのです。
なんとなくですが、日本の資本主義は私たちが想像していた通りの結論に見えると思います。でも、こうして理論としてなかなか気が付けませんし、意識しずらいことでもあります。
それだけ、私たちにとってはあまりにも普通で、当たり前のことが資本主義の精神としてインプットされているのでしょうね。
■最後に
日本型資本主義は、多分たいていの日本人にとってなぁーんだ、と言ってしまうようにも思います。
この思想は、当たり前に脈々と私たちの中にあるものです。
行動起こすにも、発信するにも頭に入れておいて損はないと思います。