こんばんは、トーコです。
今日は、乙川優三郎の「太陽は気を失う」です。
■あらすじ
たった一瞬の偶然と、男と女の終わりの瞬間、出会った人間の直後の死、人生の最後の後悔と最後の懺悔。
ままならない日常と人生の分岐点を描いた連作短編集です。
■作品を読んで
この作品は、様々な境遇の中で生きる老若男女が、若は少ないですが、描かれています。
多分、14作あるので、14の人生を垣間見ることができます。
ある男は、定年後再就職が長引き、人生にやる気をすっかり失くして、半ばうつ病寸前になっていたり。
またある女は68歳になっても現役の芸者として立ち続けたり。
また、ある男は医者から余命宣告をされ、残り幾ばくも無い命に代えて昔本気で愛した女のもとに行ってみます。
どうせ自分は消えるんだ、と思って過去を清算しようとします。結果的に彼は失敗します。
居酒屋の娘は男が逢いたかった女の娘です。娘は母についてこういいます。
母も癌と診断され、あまり店に出なくなったとのことです。
それを知った時、男はこう思います。
大切にしてきた古い布を洗って、落ちない染みを目立たせてしまった夜であった。
なかなか味のある表現ですし、その場に合ってます。いい表現だな、こりゃ。
きっとそんな日はいつかくるかもしれない。
売れない画家が、ある日マンションに住む夫人の横顔をスケッチし、それを見た夫人は画家に肖像画を描いてほしいと依頼します。
ここから、売れない画家とその妻と夫人の交流が始まります。
夫人は舞台女優として活躍していますが、夫に2度先立たれています。
自らの境遇を画家夫婦に話すとき、夫人はこうも言います。
よい喜劇には、悲しみがたくさんいるのよ。…たくさん泣いたあとの笑いはしみじみします、よい喜劇のようにね
人生の酸いも甘いも嚙み分け続けた人だから言えるセリフです。
女は美しいだけではない、美しい以上のものがなければ女も絵も魅力的ではない。
それが絵でできるのかと聞いた時、画家の妻は「できる」と答えます。
画家の妻は画家がいつかそんな絵を描いてくれることを信じていたのです。画家本人以上にまっすぐに。
今までの苦労が報われるくらいのよい喜劇がやってくることを信じているから、人は頑張れるのではないのでしょうか。
物語の最後で夫人はこの世から去っていきました。もちろんですが、2人は夫人の緊急連絡先に含まれていました。
夫人は2人に取って置きの悲しみをプレゼントしていきました。
他の作品もですが、人生の分岐点やら、悲しみやらやるせなさや切なさが垣間見れます。
■最後に
他人の人生を見るというのも結構面白いものだなあ、なんて思う短編集です。
たくさんの分岐点、悲しみ、後悔など、人生どこかでやってくる感情がそこにあります。
読後は、まだまだ人生の素人なんだなと思わせてくれます。