こんばんわ、トーコです。
今日は、村上春樹の『遠い太鼓』です。
■あらすじ
40歳手前の1986年秋から1989年秋の間、著者夫婦はギリシャとイタリアで暮らしていた。
手ごたえのある生の時間が欲しくて。
■作品を読んで
著者は、ちょうど人生の節目が近づいたときに突然旅に出たくなったと書いています。
ある意味うらやましい話ですが、読み進めていくと暮らしていくうえで様々な苦労があったようです。
ちなみに、外国で暮らしている間にいくつか作品を書いています。
「ダンス・ダンス・ダンス」、「ノルウェイの森」、「TVピープル」のようです。
結構有名なものを書いています。これらの作品には異国のにおいがついていると言ってます。
特に、トーコは「ノルウェイの森」は読んだことがあって、作品の雰囲気からすると確かにこれは日本で書いてないような気がしていました。
日本を離れるときは仕事のけりはもちろんのこと、家を知人に貸したり、スーツケースに必要なものを詰めこみます。
とはいえ、何年か南ヨーロッパで生活するのに必要なものが何なのかは普通の人間にわかるはずもない、という言葉にぷっと笑ってしまいましたが。
いや、ごもっともです。必要といわれれば全部いるし、不必要といわれれば全部って言えますからね。
まず、旅の本拠地であるローマに行きます。
というか、最初の何日かは、すんごい疲れてますけどね。慣れてない場所に引っ越すのですから、なおのこと。
それからギリシアへ向かいます。
なんというか、ギリシアって夏が観光シーズンなせいか、著者夫婦が行った冬だとかなり不便そう…。
なんかすごいことに、夏は休みなく働いて、冬は観光客何ぞ来ないので自分たちのために時間を使うというメリハリがとにかくすごいです。
トーコがいつか行った冬のクロアチアのドゥブロブニクみたい。ここも夏が観光のハイシーズンで冬に行けば観光客相手の店は結構な数が閉まっていました。
このクロアチアのドゥブロブニクを思い出しました。ああ、ここも一緒なんだな、と。
慣れてない人が冬を迎えるのがとにかくかわいそうやな、と思いました。
ギリシアで良かったっけか、ゴミはいつの間にやらなくなっているので、あってないようなものとか。世界は面白い。
それからシチリアに住んだようです。
バブル期前後のシチリアは車の騒音がひどく、マフィアの抗争あり、人々の表情は暗いと住むにはあまりにも悪条件がそろっていたのだとか。
なので、1か月のシチリア滞在ののち、ローマに移り「ノルウェイの森」を完成しました。
その時の状況を書いていました。といっても、著者が長編小説を書くことについてですが。
なんというか、これを読めば著者の長編小説の数が少ないのがよくわかります。
まさか、書きながら死の淵に立たされながら書いてるなんて誰も思わないでしょう。
明るいことでは無さそうですね。ある意味すごい。
著者夫婦の滞在記としては、ローマから、再びギリシアに行き(次はミコノス、クレタ)、冬にローマにもどります。戻ってきたローマで「ダンス・ダンス・ダンス」を完成させます。それから、ロンドンに行きます。
1988年に日本に1度戻ってきたときには大変なことが起こっていました。
「ノルウェイの森」が大ベストセラーになっていたのです。しかし、著者にとっては売れて有名になると同時にひどく混乱していたようです。
日本を離れている間に著者が置かれていた状況が目まぐるしく変わっていたようです。
それでも三度ローマに旅立ち、ギリシアに行き、ローマにもどり、アルプスにも旅をします。
心の平穏を取り戻したのでしょうか。1989年の秋には日本に戻ることにしました。
著者は、バブル真っ只中の数年間をギリシアで過ごせたことは大きかったと述べています。
そのころの日本は熱に浮かされたようでしたが、ギリシアはいたって普通なわけです。
この落差の激しさは驚きでしかないです。が、著者が妙に落ち着いているわけがよくわかりました。この3年間はきっと大きいものだったと思います。
まあ、持っていたものがラジカセとワープロという言葉に時代を感じますが。
■最後に
村上春樹の人生の転機となった3年間の外国暮らし。どことなく人となりを感じさせます。
実際に外国で暮らすことには困難が付きものであることがよくわかります。
最後に、旅行は疲れます。ほかの村上春樹の旅行記にも記述されてますけどね。
■その他作品
これまでに紹介した、村上春樹の紀行文です。ほかにもありますが、取り急ぎ。
28.『ラオスにいったい何があるというんですか?』、103.『辺境・近境』