こんばんわ、トーコです。
今日は、藤沢周平の『漆の実のみのる国』です。
■あらすじ
江戸時代中期の米沢藩は、あの上杉家の末裔かとツッコミたくなるほど、超がつくほどの貧乏藩になっていました。
そんな藩のお寒い状況を改善すべく、上杉鷹山をはじめとする家臣が藩立て直しに奔走する。
■作品を読んで
藤沢周平の作品はいくつか紹介していますので、よかったら併せてみていただければ幸いです。
この作品、実は藤沢周平の最後の作品とも言われています。
なんでも、連載中に入院し、残り60ページ近くを執筆する予定でしたが、実際に書き上げた原稿はなんと6枚。それがラストです。
著者の体調が良ければ、ラストがきっと変わっていたことでしょう。
正直なことを言えば、それまでの物語の密度とはまた違い、なかなかラストがあっさりしすぎているので。
ま、これは著者やその周囲にいた人々の方がよっぽどわかっている話なので、省略しましょう。
米沢藩のスタートは、直江兼続治世時から。
直江兼続が米沢に入ったころは、米沢の街は小さく、人口6000人に対して、兼続の家臣・家族が5000人移り住んだそうです。
兼続は将来的には米沢藩は50万石にしようと考えていました。実際にはそうなりました。
また、米沢藩には受け継がれてきた膨大な量の貯金がありました。
しかし、贅沢を好む藩主が浪費したり、幕府からの公共工事への金の拠出等で、貯金はそこを尽き、周辺藩の商人や家臣から金を借りなければ藩の財政が成り立たないところまで追い込まれていました。
その一方で、家臣たちの暮らしも上士たちは武士という対面上内職、副業はできませんが、武士でも身分の低いものは内職、副業をしないと生活ができないというところまで追いつめられていました。
そんな状況で現れたのが上杉鷹山です。
鷹山の改革は2期に分けられます。1期目は、鷹山と竹俣当綱を中心とした改革です。
竹俣当綱は、漆や桑などの商品作物の栽培と、漆の実から蠟の加工による売り立てによる所得倍増計画を考案しました。
しかし、蠟の加工はすでに品質の良いものが流通しており、米沢藩のものは売れなくなってしまいました。また、大飢饉に耐えることができず、大幅な人口減少が起こりました。
2期目は、莅戸善政によるものです。彼は、さらなる緊縮財政と領外の豪商による借款による興業政策です。
この改革によって、米沢藩の借金はなんとか返済することができました。
なんと、鷹山の亡くなった次の年らしいです。ウィキペディアにそう書いてありました。
この米沢藩の話は決して他人ごとではないと思います。
なぜかって、太平の世では武士は余剰人員となってしまいました。
江戸時代が始まるころ上杉氏は120万石の大名でしたが、会津から米沢への移動と藩主急逝で15万石まで減りました。
ところが、財政は悪化しているにもかかわらず、武士の人数は変えなかったそうです。
参勤交代に幕府からの普請の要請、自国での急な災害等、出費が絶えない中、武士階級を養わなけれななりませんでした。
これって、今の限られた企業(意外にどこの企業でもある話?)に当てはまるのではないでしょうか。
先の見えない時代の、お家存亡の戦いは、こうして展開されていたのでした。
■最後に
藤沢周平の最後の作品です。終わり方に物足りなさを感じるかもしれませんが、やむをえません。
ですが、鷹山をはじめとした家臣たちの出口の見えない戦いに頭が下がる思いになります。
必ず財政を再建し、国を豊かにするという信念が凄いです。