こんばんわ、トーコです。
今日は、マーカス・デュ・ソートイの『知の果てへの旅』です。
■あらすじ
科学はいったいどこまで知りえてしまうのだろうか。
数学の話から、アインシュタインやニュートン、脳科学まで様々な知見をもとに、一体どこまで明らかにしてしまうのだろうか。
■作品を読んで
著者のデュ・ソートイさんは、数学者でシモニー教授職を拝命されている方です。
このシモニー教授職というのが凄い。
なんと、シモニーさんというマイクロソフトでプログラマーをしていた人がオックスフォード大学に寄付し、「一般への科学啓蒙のための教授職」という講座を開設したとか。
なので、デュ・ソートイさんも「一般への科学啓蒙ため」日々活動しているのです。
著者をネットで検索すると、まあ非常に面白いファッションをしている方でもありますよ。
さて、本題に戻りましょうか。
この本の原題は「What We cannot Know」です。
直訳すれば、私たちは何を知ることができないのか、といったところでしょうか。
今の科学は恐ろしいことに、あらゆるツールの発達で知ることができないものなどありゃせんのだ、といわんばかりの状況かと思います。
さいころの動きからチェロまで、なんだか様々なきっかけからどんどん紐解いていきます。
数学音痴のトーコもなかなかに楽しく読めましたが、いかんせんページは進みません。
資格試験の本番が近づいていたこともありますが、読み切るまで1か月半はかかりました。
久しぶりに時間かかったわー。
とはいえ、数学と物理学と天文学では前提としている考え方が微妙に違っているのに1番驚きました。
というか、物理学の中の量子力学って最初から知識の限界が埋め込まれているんだとか。
それって、学問的には面白いのでしょうかね…。限界を探すのもまあアリか。
1点、やっぱり西洋の学者さんだな、と思ったのが宗教の扱い方です。
まあ、イギリスもキリスト教の一派を国教としているので、神様は基本的に1人。
さらにこの作品で扱っているテーマは「知の果て」。つまり限りなく神の領域に近づきます。神との関係性が避けて通れない部分があるようです。
著者は宗教との距離感をちゃんと示しています。様々な意見があるようですが。
日本人にはこうも宗教が出てくるとは思わないです。
日本は八百万の神々って概念なので、学問をしながら神の領域が…と騒ぐ必要性がないので、ここが若干違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんね。
そして、ラストの結論。
不確かさ、未知なるもの、不可知とともに生きるしかない、と認めることが肝要だ。
なるほどね。まだまだ新しい発見があるし、何かを見つけてもまた次が出てくる。
ひいてはそれが科学の発展につながるのでしょうね。
■最後に
科学の最果てを探す旅は、思っていた以上に広い世界を読者に示しています。
数学に限らず天文学や脳科学、物理学までに及んでいます。
意外な世界を見せてくれますよ。