こんばんわ、トーコです。
今日は、沢木耕太郎の『作家との遭遇』です。
■あらすじ
沢木耕太郎が出会ってきた様々な作家たち。
山本周五郎、向田邦子、山口瞳などなど、19人の作家の本質を書いています。
■作品を読んで
まずは、これまでに紹介した沢木耕太郎作品を。
41.『旅の窓』 116.『流星ひとつ』 242.『旅のつばくろ』 421.『飛び立つ季節』 455.『危機の宰相』
旅モノが3冊、ノンフィクションが2冊となんとバランスがいいのでしょう。
この作品は、作家との遭遇として、文庫本の解説や対談の場での出来事がつづられています。
というか、作家についての解説がまさかの20~40枚というもはや解説の域を超えたレベルで書いています。
というのも、これが著者が出している条件のようです。引用しますよ。
通常、文庫の解説には、その作家との交遊のちょっとした思い出話や、さらっとした印象記のようなものが求められているということはわかっていた。しかし、私はそれをひとりの作家について学ぶためのチャンスと見なした。具体的には、あらためて全作品を読み直し、自分なりの「論」を立ててみようと思ったのだ。そのため、執筆する原稿の枚数も、通常の解説の域を超えるような長さをこちらから要求し、それを受け入れてくれるものにだけ書かせてもらうことにした。
なんか、すごいっすね。やりたいと思うことが見事な形で聞き入れてもらって、実現している…。え、いいな。いつかそうなりたい。
とまあ、夢のようなことを実現しているのは、沢木さんの仕事を受ける時点での姿勢と、この人ならちゃんと書くということを分かっている出版社の担当がいるからなのでしょう。
それで書かれたこの作品たち。どの作家についても面白いです。
実は、以前紹介した145.『わたしの渡世日記』 のあとがきを書いています。その時のあとがきも収録されています。
高峰秀子自身も、このあとがきがたいそう気にいったそうで、それは別の著作か何かで書かれています。
ちゃんと自分のことを分かっている、「雌ライオン」のたとえがとても気に入ったのだとか。ということを養子の斎藤明美さんに話していました。
もう1つ好きなのは、檀一雄の奥さんであるヨソ子さんとのインタビューでのこと。
著者はヨソ子さんとの取材を通して、「檀」というノンフィクションを書きます。「火宅の人」の妻に実際に聞くって、すげえ。
ヨソ子さんに「1番好きな檀一雄作品はどれですか?」と聞きます。 ヨソ子さんは、『小説 太宰治』と答えます。
本当はまだ読んでいなかったのですが、取材相手が好きな作品と言ってるのであれば、と思いすぐに読むことにします。
なんか、いいですよね、この行動力。羨ましいわ。
この作品は、太宰治の評伝でもなく、単なる交遊記でもありません。まさに小説でした。
狂躁、強熱という名の青春の日々が、檀一雄と太宰治の「文学的青春」を語ろうとした時、とても難しいものとなっていました。歳月がたってしましましたから。
どんな人のどんな思い出もそうですが、時間や距離によって微妙に変わっていきます。
そこをあえて事実として捉えて書かれています。 ここまでは著者の言葉のほぼ引用です。
読んでみたいなあ、これ。 それにしても、人間を捉える目はすごいなあと思います。これもほぼ引用。
あるとき、とてつもなく才能のある人間に出会うとする。もしかしたら、その人物は自分より才能があるかもしれない。
そのような場合、相手に対して取り得る態度には二つあるだろう。敬して遠ざけるか、積極的に関わっていくか。
そんな場面に出くわした方も多いと思います。たいがいの人は前者なんですが。
あなたはどっちに転びますか。間違いなく後者の方が面白いはずです。 檀一雄も後者でした。
まあ、作品が残っているので十分才能のある方だと思いますが。 積極的に太宰治に関わっていく様子が伝わります。
この、ヨソ子さんとの話はまだまだ続きがありまして、それは確か『飛び立つ季節』に書かれていたと思います。
ヨソ子さんはなくなり、なぜかご遺族(壇ふみ)の意思でヨソ子さんの葬儀に著者の『壇』が置かれたという謎のエピソードも書かれています。
最後にヨソ子さんの墓参りに出かけたエピソードは、なんだか心温まるものと、ノンフィクション作家としての当事者とのコミュニケーションの賜物だなと思いました。
ほかにも、様々な作家へ、それぞれの作家の本質を見ていこうとする文章が書かれています。
作家との遭遇は、普通に本を読むだけでなく(大半の読者はこれしかない)、卒論を書くということ、酒場で出会うこと、文庫の解説を書くということ、対談の席もそうです。
作家について、発見のある作品です。