こんばんわ、トーコです。
今日は、若松英輔の『いのちの秘義 レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』の教え』です。
■あらすじ
レイチェル・カーソンは、環境問題が顕在化する前の1960年代から、環境問題に向き合ってきました。
『センス・オブ・ワンダー』はレイチェル・カーソンの最後の作品です。この作品を読み解くことで、現代に生きる私たちへのヒントを探します。
■作品を読んで
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』という作品は、びっくりするくらい分量の少なく、訳本もかなり平易な言葉で書かれていた記憶があります。
最近というか去年、新潮文庫で『センス・オブ・ワンダー』の文庫本が出ていますので、気になる方は原本も読んでみてください。
トーコの積読本の中にあるので、読みます。順番はどちらでもいいのですが、関連付けて読んだ方がいいです。
レイチェル・カーソンは『沈黙の春』という農薬の散布が環境にかなり影響を及ぼすことを指摘しています。
レイチェル・カーソンの代表作でもありますが、これはかなり難解だった記憶があります。だったら、『センス・オブ・ワンダー』の方がとっつきやすいです。
なんでこんなにレイチェル・カーソンに対して熱いのかと言えば、高校の英語の教科書に彼女のことが書かれており、かなり熟読したため一部覚えているからです。
とまあ、どーでもいい話が始まったので、作品に行きましょう。
そもそもなぜ『センス・オブ・ワンダー』の分量が60ページほどになっているのか、ということについて触れられています。
それは、執筆当時レイチェル・カーソンは病に冒されていたからで、結果未完成の書となったのでした。
著者は、未完成だからこそ、後世の者が積極的に参与できるという側面もあると言います。そこから様々なことを新たにひもとけますしね。
『センス・オブ・ワンダー』自体は、レイチェルの姪の息子ロジャーに捧げられています。
ロジャーは5歳にして母親を亡くしており、その後親代わりのレイチェルも11歳の時に亡くします。幼い時に2度も愛する人を喪うという経験をすることになります。
おそらくですが、愛する人が自分のために本を残してくれたからこそ、ロジャーはきちんとした大人になれたのだと思います。思いが伝わったから。
ちなみに、ロジャーは2人の息子の父親でもあり、レイチェルの伝えたかったことを伝えていきたいと映画のプロモーションインタビューで語っています。
レイチェルが1960年代から叫んでいても、環境問題は未だに解決しない問題として君臨し続けています。
私たちはいつのころからか、人間と自然はともに「いのち」であることによって、つながっていることを忘れてしまっています。
解決に向けてはデータの収集は必要なことですが、データだけではなく、1人1人が「いのち」への畏敬を忘れずに環境問題に向き合わないといけないのです。そのことを思い出させてくれます。
ところで、なぜ邦訳も『センス・オブ・ワンダー』なのでしょうか。それは、翻訳上置き換えにくいだけではなく、真意を語りにくいからです。
著者は、『センス・オブ・ワンダー』をこう解釈します。
「センス・オブ・ワンダー」は、私たちの生活と人生を根底から支えているはたらきでもあります。ふれるもの、出会うもの、心に宿るものに「よろこび」と「驚き」、そして「美」を感じる源泉なのです。このはたらきがなければ、私たちの日々の生活は光が失われたものになってしまうのです。
都会に生きて、あるいは1日中パソコンに張り付いていて季節の変化が分からなくなっている人もいるかもしれません。
今日という日が2度とは来ないことを感じれば、「自然である人間」であることを想い出すことができるのかもしれない、と著者は言います。
四季折々の花々に、季節の移ろいを感じる行事やイベント、寒暖の差や風の感覚。そこから感じるもの。
心で見なくてはならないものに、囲まれて生きています。肉眼で、知性だけで見るのはもったいない。
とはいえ、都会だろうが田舎だろうが多忙に飲み込まれると自然と向き合う余裕はなくなります。自分と向き合う余裕がなくなるのと同時に。
逆に「センス・オブ・ワンダー」のなかに生活を作ることだってできます。
子どもの頃誰に言われるわけでもなく勝手に何かを覚えた経験があるでしょう。このように能力が開花した経験から、ある力を持ったまま生き続けることができるのですから。
レイチェルは幼いロジャーとともに海に出かけ、レイチェルの膝の上でロジャーは静かに月や海面、夜空をみてこういいます。「ここにきてよかった」。
これは『センス・オブ・ワンダー』からの引用ですが、レイチェルはうれしかったでしょうね。当時世の中でレイチェルは世の中の寵児として評価されていましたが、身内からそっと言われる方がうれしかったでしょうね。愛する人からの言葉が結構勇気をくれるというか。
ロジャーのかけた言葉は、同時に試練にあっても生きていけるのではという確信をくれます。目標やが叶わないことも、それに見合った評価をもらえないこともある。
自然との間隔を取り戻すというわけではないですが、あっ、とふと思った時に立ち止まって想いをめぐらすのも悪くはないです。
現代人には圧倒的にこれが足りていないから。トーコもだから。
あと、「期待に胸をふくらませて外にでて」いくことが大切だとレイチェルは言います。外にでれば何か発見があるということを示しています。
それは、レイチェルなりにこの世界と人生ををきちんと信頼しているからでしょうか。
「センス・オブ・ワンダー」とは、外界のコトバだけではなく、内面のコトバも照らし出してくれる。むしろ、「センス・オブ・ワンダー」がはたらかないと、私たちの心のなかもまさに空漠とした広がりに過ぎなくなるといった方がよいくらいです。
こうしたとき、私たちは、生きがいや希望、あるいは生きる意味を見失うのかもしれません。しっかりと存在するのに見失うのです。
「センス・オブ・ワンダー」の正体はおそらくですが、この引用部分でしょうね。ないと私たちの心の中も大げさに言えば、すさむ。存在も見失う。
そして、「終わりのないよろこび」の中で生きています。「センス・オブ・ワンダー」を保ちながら、小さなよろこびを見つけていきます。
「終わりのないよろこび」という言葉が、現代社会を象徴しているかのようです。だって、現代社会も「終わりのないもの」に満ちあふれていますからね。
なんだか前回紹介した405.『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』著:森下典子 でも触れている通り、心で感じること、がここでも重要になりますね。
という内容を、随筆なのでもっと味わい深く語られています。なんか、内容をかいつまんでいるうちに語りが失わているような気が…。
■最後に
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』から、今の時代を生き抜くヒントを見出す試みを見ていきました。
「センス・オブ・ワンダー」という言葉は、私たちの外側も内側も照らしてくれます。
そして、私たちはどこかで自然とつながっていることを忘れてはいけないのです。