こんばんわ、トーコです。
今日は、吉田秀和の『ソロモンの歌』です。
■あらすじ
相撲の再発見から日本文化を振り返る「ソロモンの歌」。中原中也や永井荷風、クレーなど。
音楽評論でおなじみの著者の、文学と美術を描いた随想集です。
■作品を読んで
「音楽以外のもの」をまとめて一冊にしようとするも、文学と美術関係だけでは足りないため、結局音楽も入っています。
まあ正確にいえば、作家についてまとめたエッセイの中に音楽の要素が入ってきたというレベルな気がします。 なので、本人が言うほどではないのかな、と個人的には思います。
大きく分けて4つのパートに分け、以下のエッセイが収録されています。
- 中原中也のこと
- 吉田一穂のこと
- 三人ー小林秀雄、伊藤整、大岡昇平
- 詩人の運命 一本の木
- クレーの跡
- マネこう
- ソロモンの歌
- ヨーロッパの休日 荷風を読んで
中原中也と吉田秀和がなんやかんだで仲いいとは聞いていましたが、まさかそんなに会っていたわけではないんだなと思いました。
まぁ冷静に考えるとたったの7年しか交流してませんしね。
中原中也がかなり若くして(29歳)で亡くなっているので。 吉田秀一と仲中原中也の出会いは年ドイツの語の師匠の阿部先生と言う方を通して出会いました。
中原中也は日曜日になると必ず阿部先生の家に行き、勝手にご飯を食べていたと言う事をしていました。 今の時代からすれば、ある意味珍しく、相当の変わり者です。
著者は中原中也の詩を読み、こう分析をします。
例えば 『在り日のし歌』と言う有名な詩で、これは亡き文也という生後まもなくしてなくなった息子さんを悼んだ詩を、著者はこう言います。 この歌の中には彼が愛児を悼んでいるのと、あの時私が見た彼自身の姿とが二重になって映し出されるような気がする。私は、これを単なる記憶の連想として行っているのではないのか本当に不思議な気がする、一体あの時死んだのは彼の子供だけだったのか?いや、あの時熊を見ていたのは子供でなくて中原だったのだろうか?こうかくと、どうも馬鹿げた話になってしまうが、実は、私には彼の詩の非常に多くが、自分で自分を悼んでいる挽歌としか思えないのだ。 中原中也の作品は、生の側から書いているのか死の側から書いているのかがわからない詩が があり、生の川と死の川を挟んで行ったり来たりしています。
だからこそ今も今も中原中也の詩が残っているのでしょうね。トーコも、改めてすごく中原中也の詩を読みたくなりました。
とは言え、もともと同時代を生きている人ですらわからなくなることが多いと言うすごく不思議な作品を残したんだなとトーコは思いました。
そうこうしているうちに、著者は中原中也に会わなくなりましたが、中原の消息は阿部先生から途切れ途切れに聞いてました。
ところがある日突然阿部先生から、「中原が死んだ。今日は葬式だから、一緒に行かないか」と言われました。何気なく阿部先生を訪ねたらこう言われたのでした。
著者は、そのまま阿部先生とともに鎌倉行き、葬式に参加しました。
それからしばらくして小林秀雄の『中原中也の思ひ出』と言う文章を読みました。著者は改めてこの文章を読み、歌舞伎の情景みたいな文章を読んでふと考えました。引用します。
死んで初めて人間と和解したんだろうな。久方の春の光の中で正心なく着っていうか花みたいに彼は死んだんだと。実際彼はずっと前から自分の姿を見続けていたのかな。 会ったことあるけども本当に彼を見て彼の言葉を聞いていたんだろうか。
著者は改めて小林秀雄のようなの天才さを思い知らされると同時に、自分は死んだ中原の歌う声しか聞こえなかったんだなってことを改めて理解します。
吉田秀和も充分天才なんですけどね。そう思わんでも…、と思ってしまいますが。
でも確かに、会ったことあるけど目の前の人をほんとに見続けているんだろうかって思う出来事はあると思います。それは、人間誰しもあるかと。
トーコも学生時代よくそれは思いましたね。たとえば、友達Aの印象も、私から見た印象と別な人から見た印象は違いますよね。おそらくそれと一緒なのかなとふとトーコは思いました。
個人的に一番面白い話は、「一本の木」というエッセイの中で登場する。図画の時間のことです。
戦前の図画の教育は、なんと真っ黒な装丁の教科書を開けてそこに書いてあるものを写すことから始まり、ずっとそればかりしていたそうです。
例えば球や矩形といった形だけのもの、真っ赤なリンゴ、黄色の花等を、柔らかい鉛筆や色鉛筆、水彩紙絵の具で書き写すと言う授業だったそうです。
子供に、もう早美大目指してるんですかって言うレベルの教育…。この授業トーコ無理だ。絶対美術が嫌いになる…。
そこで、ある日著者は教科書を見て書くのではなく、目の前のものを実際に見て描くと言うのが1番だって言うことに考えにぶつかります。
この描写を読むと逆に描けなくなるんですよね。木はどのくらいの距離間で、葉っぱはどんな形で、枝の1本1本は何色なのかと、どう絵の具を混ぜるかと考え始めると描けなくなってしまっている描写が続きます。
その時に、同級生の子が大きな丸を書いてから、枝や葉を描けばいいじゃないって言うことをやり始めたら、やっと少年時代の著者は少しは腑に落ちたというエピソード。
とはいえ、この過程が著者は全く気に入らず、モデルを写すことではなく、何かを見てそれをできるだけ忠実に写すのが描くことと思っていた節があるので全く理解不能だったようです。
著者はこれで絵を書く才能が全く欠けていると言いますが、トーコは逆で、このエピソードからこの人美術を評論する才能が溢れてると思ってます。
ここまで美術の時間に違和感を覚えて、分析できる小学生大したものですよ。
木を描くって簡単なことではなくて、形や、枝葉っぱだけでなく太陽の光や季節による光の角度によって色味も変わるので、著者は長年緑色の人工の緑色に馴染めなかったと後述しています。
絵がかけないと言うことに絶望し、その一方で音楽はいいなと主張します。
音楽がどうあるのかは人それぞれですが、著者は音楽の中に悲しみがあるからだと言います。音楽は感情に強く訴えかけてくる芸術ですが、耳で聞くので内部感覚に行き渡るのだといいます。
音楽を通して自分はどこから来たのかって言う疑問の答えも出ます。最後の文章に最後の文章を引用します。
小学校の廊下から、あの木を眺めていたとき、私は、あすこに生きることを自然とが一つに結ばれた結合点があると感じていたのかもしれない。あのとき私は、それを描くことができなかった。そうして、今も、その姿は依然はっきり見えているのに、それがなんであるか、私にははっきり書きあらわすことができないのである。
それが人生であり、ゴールが分かっていてもいいんですが、過程までが全てわかったら面白くはないと思いますけどね。
他にも、マネやクレー、表題作に永井荷風について論じています。
表題作「ソロモンの歌」では、著者の生い立ちにも触れられています。著者は、日本橋に生まれた江戸っ子です。
今はもう都電荒川線しかない、市電と呼ばれた路面電車の話も出てきたり、両国の国技館の太鼓の音が聞こえるといった想像力をかき立てるエピソードが盛りだくさんです。
相撲を見ると言っても、ラジオやテレビがない時代なので、子どもの著者は伝聞のみで想像します。
それでもすごく楽しみ、と回想するんだからすごいです。こうしてみると、今の時代ってすごいなあ、と思います。映像も情報も豊富すぎますからね。
相撲の話から少しずつヨーロッパに移り、やがてクラシック音楽にむかいます。
最後は、文化の生命についてまとめます。日本の根幹は、時代を得てもそんなに変わらず、むしろそれは私たちを支配しているのではないか、と言います。
そうかもしれないですね。私たちは実はそんなに本質的なところでは変わりないかもしれないですね。
とまあ、日本文化について再構築しています。
■最後に
文学と美術だけでまとめようとした、随想集です。
音楽評論で注目された、著者の鋭いまなざしは文学と美術の分野でも遺憾なく発揮されています。