こんばんわ、トーコです。
今日は、宮本輝の「青が散る」です。
■あらすじ
燎平は紆余曲折を経て、新設大学の一期生として入学し、手続きのときに夏子と出会う。
入学から少したって、金子の誘いによりテニス部の創設に参加する。
青春のみずみずしさや鮮やかさ、時には残酷さを突き付けられながらも、懸命に自らの道を切り開こうとする。
■作品を読んで
たまに妙に読みたくなる宮本輝作品。宮本作品は作品に無常感が流れていて、作品に深みと説得力を与えます。
ちなみに、トーコも何度が取り上げています。
23.「錦繡」、78.「ここに地終わり海始まる」、86.「田園発港行き自転車」
ご参考までにお願い致します。
解説を書いているのは森絵都さんで、森絵都さんが最初に読んだのは20歳のころで登場人物たちがかなりまぶしく見えたそうです。
そりゃあ、そうだ。今で言うところのリア充に分類できますからね。著者はそう思っていなさそうですが。
言われてみると確かに、トーコも20歳くらいに読んだらまぶしすぎて読んでて疲れた気がします。
青春から10年近く経過してから読むとさすがに感想が違います。人生をいくらかみたからだと思いますが。
それにしても、登場人物たちがえらく様々な事情を抱えている。例えばですが、燎平の設定はとにかくすごい。
浪人するも家業が危うく傾きかけ、進学をあきらめるかの瀬戸際にいたものの、何とか家業を立て直すことができたので進学を目指せるようになったものの、志望大学に落ちたので、もうどうにでもなれと思い、新設大学に進学することにしたという設定。
これは冒頭2ページ目に書かれています。最初から影なる部分が見えています。
志望大学に落ちたもの特有の事情が見えてきます。大学は入学してもなかなかやりたいことが見つからないのですよ。そんな中で燎平はテニスに出会い、のめりこんでいきます。
この作品が普通の青春小説と違うのは、光と影があることです。
光というのは、テニスを通して熱い部活生活を送り、仲間との友情が…と始まる部分。
影というのは、登場人物たちのそれぞれに暗い影を落としている部分や抱えている事情など。
この二面性がきちんと示されていることにこの作品の深みがあるのだと、トーコは思います。
物語の最後で、大学卒業間際の燎平はふと思います。夏子や金子、その他の登場人物たちも何か大切なものを喪ったのかもしれない。自分は何を喪ったのだろうか。いや自分も何か喪ったのだ、と。
何かを喪って人はきっと成長したり、先へ進んだりするのだと思います。燎平も大学卒業後は就職します。
卒業間際にこうしてふと喪ったものを考えることで、何も喪っていなくても前に進むきっかけを与えているのでしょう。それと同時に1つの時代が終わりを告げているのです。
燎平の授業の教授が燎平に対してこういいます。
若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなければならない。自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか。
あえて言えば、喪ったものの1つとして挙げるなら、「潔癖」ということでしょうね。
年を取るにつれ、潔癖っておいしいの?と言わんばかりに純粋さが失われていきます。人生経験を重ねた引き換えなのかもしれませんが。
真っ只中のころはおそらくわからなかった気がします。でも、青春時代の友情は今からできる友人たちとの友情とは違う気がします。本質は一緒ですが種類が何となく異なるのです。
この本を読むと懐かしい日に帰ることができる気がします。
■最後に
誰もが1度は通るであろう青春時代を色鮮やかに、時には残酷に描いています。
喪ったもの、得たもの様々ありますが、そこに流れる無常感が深みを与えています。
青春時代に少しの痛みを伴いながら戻りたい時におススメします。
[…] 122.「青が散る」 […]