こんばんわ、トーコです。
今回は、スチュアート・ダイベックの『僕はマゼランと旅をした』です。
■あらすじ
ぺリー・カツェクは、死んだ叔父からサックスをもらった。死んだ叔父は母親の弟でサックス奏者で、死に際は精神を病み、何度も脱走を繰り返した。
シカゴの裏町でペリーを中心に、弟ミックや父親、叔父のレフティなど様々な物語が織り交ぜられ、記憶が交錯する物語である。
■作品を読んで
まず、タイトルの意味が分からずに読み進めました。マゼラン…⁉。
最後にあとがきを読んで、なるほどと思いました。おそらくですが、マゼラン=記憶。記憶とともに旅をしたと読み替えると、トーコも納得しました。あくまで個人の意見ですが。
作品は、ペリーを中心に、時には主人公が変わったり、登場人物が入れ替わったり。
展開は緩やかですけど、短編ごとに登場人物が違うので、戸惑うかもしれません。人物把握に忙しい。
途中でよくレフティおじさんが出てくるので、そうこの人こう言う人、って気分になります。
要所要所でレフティ叔父のエピソードが出てくるので、ある意味では、レフティ叔父さんの物語という側面もあります。
冒頭では、酒場でサックスを吹くかっこいいおじさん、中盤で戦争で傷ついて精神に変調をきたし、演奏中に暴走し、やがて精神病院に入院すること。最後の短編では、レフティ叔父の葬式の場面が登場します。
デパートで気になった女の人がある香水を振りかけているときに、ペリーはふとレフティ叔父の葬式のむせかえるにおいを思い出します。
そこからレフティ叔父の葬式のシーンが出てきます。葬式から叔父さんとの思い出やつながりを回想していきます。
酒に溺れる前まではサックスを教えてくれたりといい叔父さんだったみたいですが、アルコール依存症気味になるとめっきり会わなくなります。
こうした記憶と現実の織り交ぜ方がうまい気がします。
ちなみに最後の短編の名前は、「ジュ・ルヴィアン」です。これは、実在の香水の名前で、意味は「僕は戻ってくる」。
最後の短編では、ペリーとレフティ叔父さんとの記憶がうまい具合に戻ってきたのです。
どちらかというと、この作品は読んで深く味わうという側面のほうが強いです。
明確でわかりやすいストーリー性があるかと言われればちょっと違います。読めば読むほど、作品の世界が広く、深く広がってくる物語です。
Amazonのページを見たら、あらすじ…ではないよ、これ、と思ったので、直接的なあらすじを書くのが難しい作品でもありました。
夏の夜長にいいかもしれませんね。
■最後に
連作短編として作品同士がうまくつながっています。
人や時間、記憶がうまく重なり合い、折り合い、時には打ち消しあっています。
読書が連れて行ってくれる、新しい世界や方向に行きたい方におススメです。