こんばんわ、トーコです。
今日は葉室麟の「蜩の記」です。
■あらすじ
檀野庄三郎は切りつけさわぎを起こしたために、幽閉中の戸田秋谷の監視を命じられる。
秋谷は前藩主の側室との不義密通のために幽閉され、家譜の編纂と10年後の切腹を命じられていた。
■作品を読んで
庄三郎は秋谷とその家族との交流を通して、秋谷は本当は無罪なのではないかと疑います。事実秋谷と側室に関係は全くありませんでした。
それでも秋谷は切腹を免れようと動きませんでした。
また家族はずっと秋谷とともにいられる時間が限られていることがわかっていました。その事実を受け入れながら、重苦しいい空気があるかもしれないが、
1日1日を大切に生きているのを見てすごく強いです。なんというか、トーコはそんなことできないなと思います。
まあ現代ではこの状況がなかなか想像できない部分もありますが。
しかしまあ、秋谷も強いけど、家族もすごく強い。
また、庄三郎は秋谷の生き方を見るにつれ、自分の考えも変わっていきます。
「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ」と思うようになるのです。
心の向かうところが志であり、それが果たされるのなら、命を絶たれることも惜しくない、とあります。それは同時に覚悟と矜持を持つことなんだと思います。
自分の道を見つければ、目標を見つければ、自分の生き方に自信を与えるのだと思います。
武士の世の中も、現代も戦いの形は違えど、何かに日々戦っています。
すごく生きる指針になる言葉です。
ただ、命あってこそなので、命を絶たれても惜しくないというのは大袈裟かもしれませんが。
秋谷は自分の処遇が決まってからも家譜編纂というなすべきことをなし、切腹の日を迎えました。
秋谷がこの世を去るまでに10年という歳月がかかりました。その間、やがて訪れる死を見つめていたのだと思います。
父として、よき夫として暮らし、幽閉されていた村の人々にも信頼されていました。
秋谷は類まれなる人格者だったのです。秋谷を誰か評価してあげて。
■最後に
この作品は、終わりがあるのをわかっていながら、何を思い、どんな行動をとり、最後を全うするかを鋭く問いかけます。
すごく難しいです。普段考えてませんから。悔いのない人生ってなんだ、と考えてしまう本です。