こんばんわ、トーコです。
今日は、幸田文の『動物のぞき』です。
■あらすじ
無類の動物好きだった著者がご近所の動物園の動物を観察し、時には飼育員さんの話も入れて。
若き日の土門拳が撮った動物たちの写真もありの、ちょっと豪華な作品です。
■作品を読んで
まずは、著者の話を。
著者は、幸田露伴の次女として生まれます。幸田露伴は明治期に活躍した文豪です。また、娘の青木玉も作家活動をしており、本書のあとがきも書いています。
著者は戦前の時代にしては珍しく、娘の玉をもうけるも嫁ぎ先の家業が傾いたため夫と協議離婚をし、実家に戻ってきます。それゆえ幸田露伴の最後まできちんとみとることになります。
ちなみに、著者は故人の文書の整理の傍らで発表したエッセイが話題になり賞をとるのですから、ある意味才能です。スゲー。
娘の青木玉も故人の作品の整理の傍らでエッセイを発表しています。幸田家ある意味すげー。
さて、作品に戻りましょう。
この作品は、幸田文の没後1年を機に出版された作品です。この『動物のぞき』が書かれたころは、著者にとって最も調子よく仕事に励んでいたころの作品でもありました。
トーコは全くイメージにないのですが、実は幸田文さん、無類の動物好きでもあります。
それは、作品の1番最初でシートンの『動物記』という作品について語るところより、こういいます。
私はこの本が好きなので、戦後にも読んだが、若いとき読んだのと年をとって読むのとは、おのずから感じるところがちがった。若いときは、鹿なり兎なりがあわれにも勇ましく、身にふりかかる困難をしのいで行くその事柄に感動したが、老いては物語の筋に感動するよりも、動物の姿態に感動が起きる。
なんというか、年月を経て動物への見方がこんなにも変わるもんなんですね。動物の姿に感動って、結構動物がそれだけではないことをわかってからの感想だなと思います。
シートンの『動物記』には愛情を持って書かれていたように著者は思っていましたし、著者自身も動物と仲良くなりたいという思いはあったそう。
ちなみに、娘の青木玉の記憶には、文字も読めないようなころ風邪で寝ていた時に母が読み聞かせをしたのがこのシートンの『動物記』だったそう。
それが仮に死後この文章を読んだときにちょっとした懐かしさを感じるのではないでしょうかね。死んだ人とこうして親子の絆ではないでしょうが、思い出というかエピソードを発見する感じ。
かわいく思うこととは酷いということと、じつに紙の裏表である。
著者が動物を見ていると思うそうで、動物は愛情と酷さを教えてくれます。表面的ではないですね、幸田さんの好きは…。
そうこうしているうちに、幸田さんは動物園に取材に行きます。しかし、動物が2,3時間見せる姿だけでは、人間としては知る限界があります。
そんな時に、飼育員さんのお手を煩わせます。なので、裏門から通してもらうこともしばしば。
第1章でいきなり案内されたのは、オラウータン。幸田さんはこのオラウータンをオラン君となずけて、様子を描きます。
この様子の書き方が面白いです。オラン君の気持ちを読み取り、オラン君の口調で幸田さんとの対面を描きます。
そんなオラン君の賢そうな姿を見て、自分の中身を見抜いているのではないかと思うのです。実際にもこんな描写があります。
おそらく彼には私の低能がまる見えになっていたにちがいない。しかし低能ながら私も思う、これが人間の「虚」というものであろうと。虚をつかれるというのは、人と動物との交渉において大切なことで、よしんば猿の虚を私は知ることができなくても、自分の虚に気をつけなくては、今後、動物と上手につきあうことはできなかろう。
オラン君に正体を見抜かれつつ、幸田さんは動物の取材を進めていく中でどこまでも動物と対等に付き合っていくためには、自分の「虚」をきちんとわかってないといけないと思うのです。
どこまでも真摯に動物と向き合いたいんだな、この方は、と思うでしょう。
動物だけでなく、飼育員さんにも言及します。飼育員さんが動物について語るときの様子は、謙虚というか用心深く語っています。
それを何かに似ていると著者は思います。引用ですけど。
この態度は誰かに似ているという気がした。それは学問をする人たちに似ていた。何の学問によらず何かを究めて行こうとする人たちは、「である」と「と思う」をはっきり気をつけて使う習慣がある。
きわめるという字が極めるではなく究めるなのは、時代を感じるで合っているのか、現代の用法がいつの間にか捻じ曲げられて正しくなったのかは不明です。
おそらくですが、飼育することを極めているのだと思うのです。この動物園は上野動物園ですから、飼育員さんのレベルは相当高いはずです。プロフェッショナルなんだと思います。
同時に飼育員さんはわかっています。動物と人間はまったく別のものなので、不用意に相対してはいけないのです。事故とか起きますしね。
幸田さんは、飼育員さんにまで敬意を払っています。動物の身になって考えることができる人だという意味で、ですよ。
そんな独特の観察眼で、動物たちの様子や動物園の裏側を描いています。
写真も若き日の土門拳が撮ったもので、よくこんな写真が撮れたものだな、という写真も何枚かあります。
個人的には、キリンが舌を出している写真と、馬が「ヒヒーン」とか言って立ち上がっているポーズが見事過ぎてスゲー、と見入ってしまいます。
二重に面白い本でもあります。
■最後に
動物が大好きな幸田文による、動物観察日記です。動物を取材し、文章として書き留めている熱量が並々ならぬものがあります。
動物に、飼育員さんに敬意を表しながら描いています。土門拳の写真もすごいです。
[…] まずは、幸田文作品の紹介です。342.『動物のぞき』 […]