こんばんわ、トーコです。
今日は、岸見一郎の「これからの哲学入門」です。
■あらすじ
コロナがやってきて、先が見えてこない今、一体何を信じて、何を考えていけばいいのか。
幸福に「なる」のではなく、幸福は「ある」し、未来は「ない」と思い、今を「生きる」。
一体どんな言葉で綴られているのでしょう。
■作品を読んで
まとめる前にAmazonのレビューを読みました。どうやら価値のない本扱いのようです。正直に言えば酷評するほどの本ではないですけどね。
むしろ、これからどう生きるのかを真剣に考えたい人にはおすすめです。
まず、のっけから耳の痛いことを言ってくれます。小見出しのタイトルが「不安を直視して生きる」。もう、この時点で痛い人いっぱいいると思います。この作品を通してですが、要所の重要だと思う言葉は太文字で書かれています。
アウシュビッツ収容所で、クリスマスが終わればきっと帰れる、と信じ、実際には帰れなかった時の絶望は大きいものに違いないです。実際に、このクリスマスの後かなり多くの人が亡くなったようです。
先が分からない、願ってもかなわないことがたくさんある中で、今だけが現実で、これ以外の現実を求めることに意味はありません。けど、今をどう生きるかを決めることができます。
ここで、哲学者の三木清はこういいます。
常ないものを常あるものの如く思い、頼むべからざるものを頼みとするところに、人生における種々の苦悩は生ずる
詳しい解説は、作品を読んでみてください。ここから第一に、未来は「未だ来ない」というよりは端的に「ない」ことが導かれます。
えええ、とのけぞります。多分誰もがとりあえず未来はあることを信じていることでしょう。それを裏切ってくれます。
第2に、誰にもわからない未来を頼みにできないことを知れば、明日が来るのを待たずに今日この日が幸福で「ある」ことを考えられるようになります。今日が幸福ならいいじゃん、という考えです。
そして、著者からもう数えなくていいんだよ、と諭されます。数えるというのは、残された時間のことです。というか、今が幸福ならそんなことする必要すらないのですが。
それから、大まかに私とは、生きる、愛する、働くという章に分かれます。
まず、「私」とはからです。ここで1番大切なのはこれでしょうね。
人からどう思われているかを気にしないで、何ができるかも自分で決めなければなりません。
実際のところ、これを実践できる人ってそう多くがないと思います。見ていると。
特にトーコの会社だと、自分で決めている人が少ない印象です。在宅勤務ができるかできないかなんて人の目を気にせず自分で決めりゃーいいだろ、ってよく心の中で突っ込んでいます。
というか、他人に決めてもらわないと動けないって、心の底から気持ち悪いと思うのはトーコだけなんだろうか。
と言いつつも、人の目を気にしない人はたくさんいることでしょう。でも、本書でも触れられていますが、意外と人は気にしていないものです。
そして、叱ることというのは基本的にすべてパワハラになります。指導と叱るをきちんと区別するよう教育する必要がありますね、全世代で。
感情に任せて仕事と関係ないことでパワハラをしている上司に遭遇した時は、この人は強い劣等感があるんだな、と思えばいいのです。
なるほどね。パワハラをする人は劣等感を隠すため、自分の価値を高めようとする価値低減傾向が発生します。
そこから、まさかのヘイトスピーチをする人につながります。確かに、まわりまわれば一緒です。そして、差別しているという感覚すらないのではと言及します。女性蔑視発言もここからくる要素がきっとゼロではないんだろうな、と思うのです。
この章、まださらに深いところに行きます。
「愛する」という章の見出しもすごいです。何って、「結婚は恋愛のゴールではない」。
そういえば、今日のラジオで夏木マリが言ってましたね。「結婚はインプラントと一緒」。…、歯ですか。
インプラントをするのがゴールなのではなく、インプラントをしてからきちんとメンテナンスをしないとまたやり直さないといけないみたいです。
また、衝撃的なことを言います。子育ては親を育てない。
学校の先生が皆さんと一緒に学びますっていうセリフや子育てを通して成長できましたというセリフを聞いてなんか違和感を感じていたのですが。
まあ、学校の先生のセリフの真意は同じことを単調に繰り返しているように見えても、実際年によって生徒は違うからまた何か発見したいっていう意味だったんだな、とこの年になって気が付きました。すまんのう。
子育てというのは、子どもの成長を親が援助するだけの話であって、親のためにするものではありません。だから、違和感はそういう意味で正しかったんなと改めて思いました。
そして、分断があるのは普通。まあ、親と子ですら考え方が違うのに、さらに多くの考え方の違う人間が集まるのであれば対話が必要になります。
偽りの結びつきを断つために、剣を投じることで真の結びつきを作ります。
それをヒントに「働く」の章に進みます。
様々な切り口から働くから見る幸福についてを考えています。この章で印象に残っていることは、ボランティアの意味をはき違えているのはないかということです。
本来のボランティアは、「志願する人」という意味で、決して無償で働く人ではありません。
東京オリンピックにボランティアが駆り出されることになっていましたが、なぜ労働の対価をきちんと払わないかと著者も不思議に思っています。まあ、トーコも医者、看護師までただ働きって聞いたときは腹が立ちましたけど。おかしいだろ、ただで働けって、この人たちの能力を何だと思っているのやら。
まず、金を払いましょう。そして、絆は愛国心と同様、上から押し付けられてはいけないのです。
ちなみに、愛国心を強制するのは劣等感の表れです。だから、愛国心の押し付けが気持ち悪いっていう違和感はここからくるのか、と解決しました。
この本についていろいろ書きましたが、書けば書くだけ本書の内容が浅いものと感じてしまうのではないか、という危機感があります。
本当はもっと内容的には深いです。そして、考えさせます。コロナ時代の前に戻ることはもうないと思います。
残念ながらもういつの間やら変化の渦に巻き込まれ、下手をすると生活すらままならない方もいると思います。それでも、生きなければなりませんし、立場を超えて対話をし続けないといけないんだな、と強く思います。
■最後に
言いたいこと以上に内容はかなり深い本です。変化の波に焦る人も多いと思います。そんな時に道しるべになればいいなと思います。
読み終えてふと考えたとき、ほんの少しだけ発見し、武器を手に入れてパワーアップできそうな感覚になって欲しいと思います。