こんばんわ、トーコです。
今日は、土井善晴と中島岳志の『料理と利他』です。
■あらすじ
きっかけは、「利他プロジェクト」が発足した時にさかのぼる。「利他」の本質は、ひょっとしたら土井善晴の両理論にあるのではないか。
そんな中、オンラインで土井善晴と公開でイベントを行うことになる。この作品は、そのオンラインイベントの記録です。
■作品を読んで
ここで、まずは著者について紹介します。
まず、土井善晴さん。この方は料理研究家で、料理研究家になるまでに和食やフレンチレストランで修行し、それからNHKの「今日の料理」の講師としてもお馴染みです。
この方の言葉で好きなのが、「一汁一菜」のあり方です。おかずはたくさんなくても大丈夫で、汁物1品、漬物1品でいいんだよ、という考え方です。
トーコの母は専業主婦なので、実家に暮らしていたころは夕飯に結構おかずが出てきたりします。今も帰省すると結構出てきます。
けど、夕飯のおかずを多めに作るって、働いてくたくたの身には結構難易度が高い話。なので、この「一汁一菜」を聞いたとき、あ、これでいいんだとちょっと楽になりました。
一方の中島岳志さん。東京工業大学の教授で、「利他プロジェクト」というプロジェクトが立ち上がり、そのプロジェクトに参加しています。
では、本編に戻りましょう。
まず、このオンラインイベントが最初のステイホームを経たあと、家でごはんを食べることについて土井さんはどう考えたかについて聞きます。
実は土井さん、食材を扱うことからコロナが起こる前から自然というものに注視していたそうです。
また、中島さんからコロナの問題について、自然破壊することで動植物が絶滅し、動植物にくっついていたウイルスの生息地が奪われ、人間に引っ越しせざるを得なくなっている、と述べます。これは、ひとところ話題になったパオロ・ジョルダーノという人のエッセイからのかいつまみです。土井さんもこれには同意します。
土井さん曰く、料理をすることというのは自然に触れること。夏ならきゅうりやトマトが旬で、春なら菜の花、のような感じで。
そして、それをつくる人が食べる人を思ってつくります。料理に利他を当てはめると、まさにつくる人と食べる人との関係性になります。
そこから、土井さんが創作料理から家庭料理の世界に行きついたのかについて語られます。まさか、民藝が来るとは思わなかった…。
この部分は実際に読んだ方が面白いです。というか、トーコにこの要点をかいつまむ能力がないんで…。
そもそも、日本の家庭で料理をしている人たちがなぜ苦しいのかと言えば、「ハレの日」の料理を毎日つくろうとし過ぎているからで、結局のところ過剰に消費し続けているのも大きいのかもしれません。キャラ弁とか、もはや「お疲れ様です」の域ですからね。
ここで、ケハレについて説明を。ハレの日はまつりごと、ケの日は弔いごと、ケハレの日は日常になります。ハレの日は現代だと、ご馳走を食べる日になるのでしょうか。わかりやすく、おいしいもの、きれいに整えたものを食べる。同時にカロリー過多になり、食品ロスの問題にもつながる。
対して、日常はハレの日なら捨てる部分も無駄なくすべて食べるという考え方です。そのためには、人が手を加える以前の料理を経験せよ、と別のインタビューで土井さんは答えています。
この部分を読んで思ったのは、なるほどね、と。毎日気合のいるものばかり作っていたら負担感は大きいです。家族がいようといまいと毎日気合のいる料理ばかり作っていたら大変な気がします。第一、そんな時間ない。
では、どうすればいいのか。とはいえ、予想の逆を行きます。
まず、土井さんはレシピを提示しながらレシピを超えようとしていることです。
政治学では「設計主義」というそうで、この意味は人間がすべてをコントロールし、こういうふうにやれば世の中はうまくいくという考え方。
かえって難しいです。初心者からすれば、レシピ通りに作ればなんとかなるだろう、と思いながら作っているのですから。
とはいえ、素材がいつも一定ではないことを前提に作るというのは、かえって難しいのでは…。
ここで前半が終了します。
後半は、まず土井さんの料理に対する考え方にフォーカスします。というのも、「家庭料理こそが民藝である」という世界観が土井さんの家庭料理なのではないか、と。
家庭料理と民藝に一体どんな共通点があるのでしょう。それは、人の暮らしのなかから美しいものができてくる、ということ。
おそらく、コロナ渦で家にいることが増えた人ならわかるかもしれませんが、暮らす場所がきれいでなければまず家にいることができません。
同時に、日々の暮らしの中から小さな発見やちょっと美しく、きれいなものを見つけることができた人もいるかもしれません。そして、料理にハマった人もいるかもわかりません。
そこから再び、料理を決めるのは献立からではなく、その日の状況からなにつくるかを考えるということ。その日の天気や気分、体調などに合わせて味を決めるのだとか。
さっきも同じことを書きましたが、初心者には意外と難しいことですよ。
個人的には料理に慣れるまではレシピを基準にして、慣れてからはスーパーに行っておいしそうな野菜や安くなっている魚を見て、今日はこれを作って食べようを考えた方がいいのかもしれません。
とはいえ、プロの料理人は毎日同じ仕事ができてしまう。それは、一定じゃないからこそいつでも変えられるようにするのが本物のプロなのだとか。
そこに、自然に沿うということがある。食材はたいていは自然のものであり、どう呼応するのか、という人間のあり方です。それは同時に、自分1人では何もできない、ということを知ることでもあります。
料理って、そこまで奥深いんだ…、と感心するトーコです。
さらに、いろいろと話は進み(省略していますので、詳しくは本を読んでください)、味付けよりも火加減というところにつながります。強火にすると水が傷つきます。
ここで、中島先生はあることに気が付きます。
わたしたちはおいしいものをつくらんといかんと思いすぎて、料理をすることが辛くなってくる。でも土井先生は、むしろそこから解放されることによってこそ、料理の喜びが生まれてくる。
あとがきに書かれていますが、土井さん曰く、料理を学術的に研究する男性研究者というのが皆無なのだとか。だから、この企画はある意味では画期的なものでもあります。
料理には庶民の未来が詰まっています。その通りな気がします。もう少し肩肘張らずに料理と向き合ってもいい気がします。
■最後に
料理と利他について白熱した対談でした。なお、トーコの解説はほんの断片に過ぎません。
料理に対する姿勢はもちろん、料理が利他と地続きなことに驚きを隠せません。
[…] 2位 302.「料理と利他」著:土井善晴 中島岳 […]