こんばんわ、トーコです。
今日は、田辺聖子の『死なないで』です。
■あらすじ
死が身近にある。私が死んだらどうなるんだろう。そんなところからくる、日常を生き延びることについて。
それに、カンボジアについてのこと。様々なことが綴られているエッセイです。
■作品を読んで
まずは、これまで紹介した田辺作品を。
55.『女の日時計』、63.『おちくぼ姫』、185.「田辺聖子の人生あまから川柳」。
ついでに言うと、63.「おちくぼ姫」は当ブログでも上位30位内にランクインする読まれ記事でもあります。良かったどうぞ。
なんというか、大阪出身の方というのもあって、こてこての関西節がさく裂している部分が多々あります。
お母さんとの関係性を書いた章では、丁々発止のやり取りがなかなかです。なんでも、タイトルが「ああせいこうせいお袋」。
当時50歳を超えた著者に向かって、書いたものが気に入らない、そんなことよりこんなテーマならいいなど、いい年(当時の著者は50歳)した娘に言うのですからたまったものではないです。まあ、笑い飛ばしてますが。この章の最後にこういいます。
五十路を過ぎた子供に「ああせいこうせい」といいたい恐るべきタイプの人もいるのだから、迎え撃つ子の方としては、それに対抗する力をよっぽどたくわえていなければならない。まさに、母性とは権力欲の名なるべし。
書いた当時って、著者の年表から計算すると1970年代のはずです。親がなかなか子離れできないのは、いつの時代も同じのようです。
まあ、田辺家の場合は父親を戦争で亡くし(当時は珍しくない)、女で一つで3人の子供を育てたようです。で、著者はその3人のうちの長子。
母親は余計子離れができなかったと分析しています。強いて言えば、これよりもっとひどい場合は、「毒親」になり、それも最近話題になってます。なかなか先見の明のあるエッセイで。
ここで、男と女の違いについてもすごい考察が書かれています。
男というものは、しかく、オカネのかかる種族なのである。女がおしゃれに憂身をやつして浪費するといって、女の方がオカネを食うと信じている男は多いが、ギリギリの所へくれば、女ほどカネのかからぬ種族はないのだ。
うん、そうかも。だって、酒が飲みたいと言って飲み会をしようと言い出すのはたいてい男。まあ、トーコの会社は女が少ない職場でありますが。
そして、最近何かで読んだのですが、男性よりも女性の方がストレス耐性が強いらしいです。多分5倍違うらしいです。
なので、超ギリギリのところに行けば女は強いです。大体、男性の節約家なんてなかなか聞きませんもん。ポイントオタクは聞いたことがありますが。
以上、超主観の入った感想でした。もし、ストレス耐性の話で、いや違う、ということがあれば連絡を下さい。
また、著者自身、結婚が遅く、しかも子どもが4人もいる人と結婚したようです。そこらについてもこのエッセイで書かれています。
やはり、血を分けていない子供を育てるというのは大変なようです。無条件にかわいいとは言えませんからね。
まあ何でも、子供だから可愛いのではなくて、可愛らしいを示したとき子供になるそうです。これは寝ている子供たちが本来の姿で寝ているときに、一体どこの馬の骨なんだろう、と思ったことから感じたそうです。
寝顔が可愛いと思うのは、実の親だからなのでしょうか。母になったことのないトーコにはわからんものです。
そして、女が働くことにも言及しています。というのも、関西は余計に保守的らしく、1970年代後半から1980年くらいに書かれたエッセイでも触れています。
なんで優秀な女の子をとらないのか。せっかく学校をきちんと出ているのに、もったいない。
男たちは伝統的に「女に何が分かるか」という気分でいるので、男社会(それはもう、うんざりすることに何千年もつづいている!)に都合よくでき上った文化形態を、一からやり直す気なんて、てんでないのである。
えー、残念ながら著者が生きている間はずっとこんな調子でしたからね。やっと転換期を迎えたのではないか、と個人的には期待しています。
ふー、40年以上かかってこれです。すごい国。そりゃ、発展しませんわね。
そして、この章の最後に未来を暗示しているかの一言。
なぜなら女が働くということは、結婚のかたちが揺るぎ出すことだからである。男たちが万世一系と信じていた家庭のありかたがひっくり返る危険を孕むからである。各人各様の結婚観・家庭観の想像が要求されるからである。男たちはそういう方面の訓練はされていないから困惑する。
この人を少子化大臣に据えていれば、きっと日本はもう少し子供が産める社会になっていたのではないか、と思います。
現に今の日本では相変わらず、結婚・出産と仕事の選択を迫られるという状況に陥る女性が多い気がします。男の方にも変革が求められるのになかなか理解が得られていない、というか協力したくても無理という人も多い気がします。
変わるための準備をなーんもしていなかったのがよくわかります。何十年と議論していたにも拘わらず。まあ、劇薬を飲めば強制的に変わるのでしょう。一体どうなるんだか。
原発についての素朴な疑問というエッセイも、なんか未来を暗示しているようでヒヤッとします。ええ、残念ながら事故は発生しました。
何だろうこの人、めっちゃ普通のおばさんみたいな佇まいなのに、ここまで未来を暗示していることを書いているとは。驚きました。
途中、カンボジアについて書かれているエッセイが続きます。なんというか、ポル・ポトってすごかったのね…。残酷すぎます。
この部分を読めば概略はつかめます。わずか3年の間に自国民を半分くらいに抹殺し、医者を殺害し、病院を破壊し、土木技術をガン無視した水路やダムを作っては1発で破壊され、国土荒廃。
教育水準は低下し、自分の名前すら書けない人が現れるわ、アンコールワットも一部破壊されるわとすごく影響が出ています。
極めつけは、自国の政権に苦しむ国民が、まさかのベトナム軍に助けられる、という奇想天外な話。ベトナム軍の方がよっぽどいい人達だと言われるくらいにひどい、というかむごい状況だったようです。
5年位前にアンコールワット行きましたけど、少しはましになったのだと思います。あのバイクタクシーのおっちゃんいい人やったなあ。
このエッセイでは女性の周辺の問題について多く書き続けたと著者は言いますが、なんと1980年~85年(書かれた当時)までの間に書いたことの多くがあまり解決していないことに愕然とします。
生きのびるチエや手だてを皆さんと考えたかったと述べていますが、令和に生きる我々も生きのびるチエや手立てを考えないといけないようです。
いつになったら考えなくていい世の中が来るのやら。
■最後に
田辺流女性の生き方チエを集めてまとめてみたエッセイです。
40年間変わっていないことに驚きますが、やっと変わりそうな世の中で、未来を暗示しているかのような意見が述べています。
ヒントが隠されているし、たくさん詰まっています。