こんばんわ、トーコです。
今日は、ガルシア・マルケスの『物語の作り方』です。
■あらすじ
30分のドラマを作る場合、一体どんな風にして面白い物語を作っていくのだろうか。
この作品は、ガルシア・マルケスがプロのシナリオライターとともにより面白い物語のために議論し、ストーリー作りに向かっていきます。
■作品を読んで
何が凄いって、要所要所でのガルシア・マルケスの意見がなかなか鋭いことでしょうか。
とはいえ、結構強引だったり、圧かけてるわ…、とツッコミどころ満載の箇所もないわけではないです。が、いずれにしてもすごい。
ではでは、中身を見ていきましょう。
この白熱教室は、ガルシア・マルケス主宰で様々な脚本家やカメラマンなどとともに、30分ドラマのシナリオを作ります。
その中で語られる技法がなかなかに秀逸です。
まず、そもそものドラマを作るときの考え方でしょうか。ドラマは、構成を考え、それを踏まえたストーリーを考えます。
ストーリーとアイデアは違うのですが、アイデアはストーリーよりももっとふわっとしたもののようです。
トーコとしては、ドラマは構成がしっかりしていればあとは何とかなるんだな、ということを学びました。
構成がしっかりしていればストーリーが横道にそれたりしても大丈夫なのです。骨組みさえあればなんとかなる、物事の本質のような気がします。
ガルシア・マルケスの考える小説家と脚本家の違いです。なんというか、納得です。
小説家はどこまでも個人的な作業のようです。ドラマの脚本のようにアイディアを持ち寄り、議論することで欠けているジグソーパズルがぴったりとハマるということを小説家の場合はしないようです。
映画は残念なことに、脚本がないと作れないのであれば、に従属しないといけない部分が多々あると述べます。
脚本があるということは、そこに文学的な基盤が必要です。さらに、脚本家の仕事は極めて技術的な仕事でもあるようです。映画に欠陥がある場合は、脚本家に問題があるということにつながります。そのため、オリジナルのアイディアが欠けてしまう一面もあります。
あーなるほど。だから、最近の日本の映画はマンガや小説の映画化が多いのか。ストーリーはもうでき上っているので、あとは脚本家の技量次第で映画の良し悪しが決まるだけですからね。
ここでいう技術というのは何のことやら?。どうやら、ストーリーの中の仕掛けだったり、一体どんな姿恰好、年齢の人物が演じているのかがわかる脚本のことを言うようです。ガルシア・マルケスはこう指摘します。
彼女についてわかっているのは、開いたドアのところにいるということだけなんだ。年齢はいくつで、白人なのか黒人なのか、金髪か黒い髪か、感じのいい人か陰気な人かわからない。それに服装も、パジャマ姿かガウンを羽織っているのかもわからないだろう。脚本の技術上のミスだ。キャスティングをまかされた人間は頭おかしくなるんじゃないかな。これじゃあ、ブレイク・ダウン、つまり制作の細部をまかされている人間は衣装ひとつ決められないじゃないか。
この作品でトーコが1番印象に残っている部分です。技術的な欠陥の一部を垣間見ることができます。
脚本である程度指定しないと脚本家のイメージから乖離する可能性があるのでしょうね、きっと。あーなるほど、と思いました。
とはいえ、どんな仕事もこういう仕様に対して、このイメージで作成をお願いしますよ…、ということをトーコ自身依頼することが激増しているので、身につまされる部分があったのでしょうね。
また、映画監督と脚本家の違いはということにもつながります。というのも、シナリオ教室の冒頭でガルシア・マルケスはこういいます。
脚本家は、監督の補佐役でしかない、つまり、監督の口述筆記者、もしくは監督がものを考える時にその手助けをする人間だということをわきまえている。物語を書いたのは自分だが、いったん映画化されれば、もはやそれは監督のものなのだということがわかっているんだ。
脚本家はあくまでストーリーテラーであって、実際の画面の構図を考えるのは監督の仕事というところでしょうか。
ガルシア・マルケスも実は脚本家という一面を持っています。いくつもの脚本が映画化されているようですが、ガルシア・マルケス曰く自分のイメージしているもの通りになっているのかと言われるとそうではないようです。
脚本家という仕事は縁の下の力持ちで表舞台になかなか出てこないし、作った脚本のイメージ通りに映像化されるわけでもないということを頭の片隅に入れて置かないといけないようです。まあ、色々と裏切られることの多い仕事のようですから…。
ここまで書いて思うのは一体だれが脚本家を目指すんだ、とトーコは疑問に思ってしまうのですが…。
まあ、脚本家から監督になりたいという人が多いし、向田邦子のように脚本家からスタートして、エッセイや小説家になることもあります。人生はいろいろですな。
この作品を読むまで、そもそもトーコは脚本家の仕事をよくわかっていなかったのかもしれないです。
とはいえ、ガルシア・マルケスのアドバイスから一気にストーリーが動き出したり、議論が白熱したりとなかなかライブ感のあるシナリオ教室です。
脚本家を目指している人は読んでみる価値あるです。それにしても、映像は残っていないのでしょうかね。
そして、何よりすごいのは脚本や小説に関する技法に対するガルシア・マルケスの言葉でしょうね。読んでいるこっちも唸るような言葉がたくさんあります。
そのガルシア・マルケス自身が何よりこの白熱教室を楽しんでいたように思います。あらゆる考えを聞き、アドバイスや揶揄でまた議論が動き出したりする過程を読者は目の当たりにできます。
はっきり言えば、報告しかない会社の会議なんかより千倍面白いですし、日本全国の会議がここまで白熱するようになれば確実に世の中は変わります。
最後にガルシア・マルケスはこういいます。
仕事を続けることが大事なんだ。それにしても、人生というのはつまずいてばかりで、どうしてうまくいかないんだろうな?
(中略)わたしは決して別れの言葉を口にしないんだ。別れの言葉を口にすると、二度と戻ってこられないからね。
(中略)…、立ち止まったとたんに、悪魔にさらわれてしまう。人生というのはレモンみたいなもので、絞りかすまでいけばおしまいだ。しかし、君たちの人生はまだはじまったばかりだから、その点は心配しなくていい。
最後に参加した脚本家の卵たちに向け、これからへのはなむけの言葉を言います。なんか、すごい例えとともに添えられていますが。
非常にいろいろな角度からためになりました。
■最後に
かなり内容の濃いシナリオ教室です。議論を戦わせることで様々な化学反応が生まれることがわかります。
脚本を書く人だけでなく、そのほかの人にも参考になること多数です。
なかなかの名著です。