こんばんはトーコです。
今日は、佐伯一麦、小川洋子の『川端康成の話をしようじゃないか』です。
■あらすじ
この作品は、作家の佐伯一麦と小川洋子の2人の対談により、川端作品をいろいろと紐解いていきます。
一体どんな話が飛び出すのでしょうか。作家の目線で、1読者の目線で見た川端康成の姿を描いています。
■作品を読んで
川端文学を理解する上でまず前提となるのは初恋の人伊藤初代の存在です。
伊藤初代は川端が通っていたカフェで出会い、やがて川端と婚約する運びとなります。
しかし、カフェのマダムが留守の期間中に岐阜のお寺に預けられることになります。ところが、寺の住職に犯されてしまい、初代さんから婚約を破棄することになりました。
住職もとんでもない人ですよね。初代さんの婚約を反対した挙句犯すって。今っていうところの暴漢…、というかただの犯罪者ですけど。
その後遺症か、川端は女性に対して歪んだものをずっと持ち合わせることになります。
まぁ当時22歳の若者にとって、自分の婚約者が別の人間に犯されると言う事件は心の中の傷を抉ることでしょう。
後年、川端は奥さんとままごとをしたいって言います。なぜなら、夫婦で一緒に子供の頃の遊びがしたいと、だから処女じゃないとダメだそうで。
「へ、気持ち悪…」と思うか、ドン引きするかのどちらかの方が多いと思います。まあ、たいがいはリアクションが取れないでしょう。
川端自身が家族を知らないのでそういうかなり歪んだ面もありますが、実際後に結婚する英子夫人と飽きずにおはじきやってたそうです。すごいなぁ。
佐伯一麦と小川洋子は、これを女性を1つの人格と思った存在として愛するんじゃなくて子供として愛する。
それによって自分が経験し得なかった子供時代を一緒に味わいたいと言う、ちょっと歪んだ結婚観じゃなかろうかと分析しています。
まぁそうでしょうね。そうとしか言いようがない。大の大人が飽きることなくおはじきやってたって。なかなかすごい。
そして川端文学の1番の真髄は完成させる気がないっていうところでしょうか。
言われてみれば、完成しないんですよね、なかなか。他の文豪とは何か違う種類のものがあります。
このブログでも前に紹介した「古都」は何とか完成させてた記憶があります。とはいえ、川端の執筆当時の状態がすごいですが…。
そして妄想力も類まれなるものがあります。そこにはちゃんと言葉の世界がありますけどね。
ちなみに佐伯さんのナンバーワンの川端文学は「みずうみ」、小川洋子さんのベストは「掌の小説」と「眠れる美女」です。
「眠れる森の美女」は川端文学としては完成度が高い作品ではありますが、結末は川端ぽくないと言う作品です。
ぞっとする作品ですね。と言いつつも、かなり気になるトーコがいます。読んでみようかな。
こうして1人の作家を集中して読むことを、読者と共有する事はなかなか面白いなぁと思いました。
川端康成という人物を集中してみる機会ってなかなかないので、とても新鮮な体験ができます。文学史の入門編としては非常に面白いです。
これを読めば川端文学の魅力が気持ち悪いほどわかりますし、何か川端文学をちゃんと読みたいなぁと思わせる作品でもあります。
■最後に
川端康成について改めて魅力を知ることができる1冊です。日本を代表する2人の作家の目を通しての川端像が浮かんできます。
川端ってなかなかの人物なんだなということがわかります。
とても文学的にも面白い作品です。