こんばんわ、トーコです。
今日は、ジェーン・スーの『私がオバさんになったよ』です。
■あらすじ
著者が過去に対談した相手を中心にテーマを設けずに改めて対談しています。
「オバさんになった」ことでざわめいている人に読んでもらいたい1冊です。
■作品を読んで
まず、タイトルを見てこう思う。「森高千里のパロディだ」。森高千里の場合は「私がオバさんになっても」ですがね。
森高千里の場合はオバさんになってもきれいなままで、全盛期の活躍が超幼かったトーコでもわかるレベルの話ですが。
結論から申し上げますと、20年先を行く諸先輩たちも結構苦労しているんだな、と。そして、若いころの常識からだいぶ色々なものが少しずつアップデートされてきたんだな、と。
色々なものが長い目で見ると少しずつアップデートされているということは、この国を生きる中でちょっとだけ希望が持てることのような気がします。とりあえず、なんかのきっかけさえあれば日本も変わるんだな、ということがわかっただけでもちょっと嬉しかったりします。
さて、本編に行きましょう。
まずは、光浦靖子との対談。何が印象に残ったって、これ。
今20代の体力があれば天下とれる(笑)
でしょうね。20代のうちって、体力はあるけど経験ない、だから辛い。
40代はきっとですが、経験あるけど体力低下、思うように動けない、だから辛い。年代に応じて悩みはつきもの。
なので、トーコはいまが1番面白く仕事ができるんだろうな、と思いながら仕事することにしました。体力はそこそこ残って、経験は少し積んだのだから。
そして、得てして妙だなと思うことも多々あります。例えばこれ。
光浦さんが共感を得ているのって、「やりこめられないブス」だからだと思うんです。「ブスという役」は引き受けるけど、そこに土足で上がらせない。思ったことは言う。世の働く女の人は、その役を引き受けつつ、土足で上がられて、でも声をあげることもできないって場面が多々ありますから。
女性が働くうえでおそらく多くの人はそう思っている気がします。確かに役は引き受けるけど、土足はうまいこと上がらせない。
ある程度の自分の場所が確保されれば、少しずつそこから自我を出すことができる。なんだか、多くの人は実は気がついていないんですけどね。
トーコも新人のころ最初から自分を出して仕事することは不可能なことで、どうすればいいのだろうという時にひらめいたのが求められている役を引き受けてみようと思ったことでした。
そこでいろいろと見えてくることがありますよ。ふと文章を書きながらよくおかしくならなかったよな、とつくづく思うのですが、おそらく本に助けられていたのだと思います。
自分でできるようになることが増えれば貝を変えることができるのです。その一心で頑張ったんだろうな、とつくづく思います。
お笑いの世界もこのご時世ですので、少しずつ変わっていくようにも思います。コンプライアンスが厳しいので。
なんとなくですが、この2人の対談を読みながらトーコがお笑いにハマれない理由が分かった気がします。作り手が完全に男性社会だから。
特にひな壇で、一言で落としたり、声が大きい人から行けとか。男の人はそれできますよ、そういう生き物ですから。
なので、光浦さんも楽しいと感じる番組というのは、少人数でたっぷりトークができた番組に出たときのようです。
もう少し女性にウケそうな番組を作ればいいのにね、と思うのはトーコだけなのでしょうね。なんか、テレビまで醜い争いを見せられてもしょうがないんですがね。
最後にこのパートで1番希望持てた部分を言います。それは、
光浦:独身がこんなにいるって初めてだもん。歴史上。
ジェーン:しかも幸せそうな40代独身。
確かに。まあ、だから少子高齢化が進むのですが。
とはいえ、彼女たちのような先人のおかげで、下の世代は結婚をしないという選択肢が非常に大きくなるのですが。
2人曰く、大正のモダンガール的な新しい生き物のようです。そうかもしれませんね。この状態をモダンババアというようです。
頼むから誰もが生きやすい世の中になってくれ。
あと面白かったのが、ライムスター宇多丸との対話。実は、この2人大学時代のサークルで出会っています。なので、呼び方がまさかの士郎さん。
なんというか、同じ時代にいたのにこうも男女で物事の見え方が違っているんだな、と思ったことです。例えば、これ。
女子校と同じノリで同じように楽しみにいこうとすると違和感を与えるってことは知りました。
…同じ目線の同じ面白さみたいなものはそんなに求められていないようだぞっていうのを肌で感じて、それは社会人になっても続きました。
まあ、宇多丸さんは失礼いたしました、と謝罪していますが、そんな人ばかりではないので、本当に宇多丸さんはすごいです。
それからスーさんの歩みが綴られています。新卒で入ったレコード会社をサークルの先輩の一声で辞めて転職。その後実家の手伝いをしていた時に、音楽業界の元同僚からライターとして来てくれ、と言われてから作詞もお願いしますと頼まれる。
その後ラジオ出ませんか、番組やりませんか、と信用できる人に言われ、ここまでやってきたそうです。
ここで、信用できる人というのが重要で、信用できる人が「君ならやれる」っていうことは鵜呑みにし、やってみることにしているようです。
確かに、信用できる人からできると言われるのは、すごく励みにもなりますし、新しいことに踏み出す時に自分を鼓舞するためにもいいと思います。
ちなみにですが、宇多丸さんから見ると後輩が突然ジェーン・スーと名乗って世に出てきたことに対して全く驚かなかったそうです。
それは、初めて会った時から優秀で面白く、最初から人を従えていたからだそう。1番なんでもない時にすでに宇多丸さんですら知り合えていなかった人を従えていたのだからだそう。
このインカレサークルは成功者が結構集まっているのですが、サークルだからと言って手を抜かずに出し物を創るあたりがプロだなと思いました。
遊びに本気で取り組める人は仕事が適職であれな本気に取り組めますよ。そんな気がします。
最後の能町みね子との対話です。2人は実は相手のおじさんに家事を任せていて、いわゆる稼ぎ担当の女と主夫の旦那という組合せという共通項があります。
困ったことはいつの間にやら家事をやろうとしても道具の位置が分からず、結局場所を聞いてもやってもらったり。2人とも危機感を持っているのでいいのですが。あとは、稼ぎ担当の女は意外と孤独のため、情報が全く集まらない。
かといって、リーダーになる気はないので、当然情報は集まってこない。共有することもできない。
不思議なジレンマに陥っています。
■最後に
「オバさんになった」ら、生きやすい世界が待っていたわけではなかったようです。
あまりうまく伝えきれていない部分ですが、スーさんと同じくらいの年代の方が第一線で活躍するのにそれなりの代償を払っています。
ですが、そこでめげずに明るく笑っています。年取るのも悪くはないのです。