こんばんわ、トーコです。
今回は、ハワード・ノーマンの『ノーザン・ライツ』です。
■あらすじ
ノアはたった1軒しかない村で地図製作の父と母、いとこのシャーロットと暮らしている。
ノアが父親からもらったラジオで最初に聞いたのは、親友のペリーが一輪車に乗って湖に落ち、帰らぬ人となったという知らせだった。
次の年の夏、ペリーの両親のいる村で過ごすことを選んだノア。しかし、父が失踪し、母とシャーロットはトロントに向かうことを決める。
■作品を読んで
気になっていましたが、なにせ値段にびっくり。もっと安くならないものでしょうか。トーコは図書館で見つけたのでよかったのですが。
翻訳者があまり有名な人じゃないからなのでしょうか。翻訳本も今後は値段が高くなってしまうのでしょうか。若干心配です。
この作品に流れているのは、一言でいえば「喪失感」でしょうか。
どの登場人物も大切な人を失っています。
ノアは親友のペリーを。ペリーのいた村に滞在することを決め、滞在した先はペリーの両親の家。当然ですが、ペリーの両親もまたペリーがいなくなったことに苦しみます。
いとこのシャーロットも両親を失い、会ったことのない叔父、叔母(ノアの両親)に引き取られます。でも時々、夢で父と母の夢を見るようです。
ノアの母親のミナも、ノアがペリーのいた村に滞在している間に、夫が帰ってこないことを悟り、シャーロットを連れてトロントへ行きます。
ミナもまた、夫と住み慣れた土地を失います。
誰もが失っているものがあるのに、筆致自体はそこまで重苦しくはないです。さらっと、ペリーの両親の痛みはさらっとではないですが、少しずつ通り過ぎていきます。
そこにはかすかですが、希望があるからでしょうか。
トロントのシャーロットがペリーの住む村のノアに宛てた手紙です。
いまのわたしの家族はだれなんだろうって。それはノアとミナおばちゃんだと答えます。…
きっとそう考えるように言い聞かせているんでしょう。そういうふうに考えるのがいやなときもあります。でもそこにいるのがあなたとおばちゃんなら、やっぱりいいなと思う。
この前に、シャーロットは夢の中で母さんと父さんが出てくることを誰かに初めて伝えます。なんというか、少女が背負うにはあまりにも大きいものがさりげなく書かれています。
ですが、そのあとの上の引用はものすごく希望を持たせます。悲しみを捨てることはせず、今あるものに目を向けて大切にする。
信じられる存在の支えがあるからこそ、生きている。手紙だから書けるのでしょうか。それは、ノアにもその思いは伝わっています。
トロントで暮らし始めてから、ミナとシャーロットはノーザン・ライツという映画館で働きます。
ところが、ひょんなことからミナがノーザン・ライツの経営権を買い取り、映画館の経営が始まります。
そのタイミングでノアもペリーの住む村からトロントへ行くことになりました。
ノアはミナから、新聞社で広告を載せてもらうことと、映写技師を探すようにと言いつけられます。
新聞社でマリヤという受付嬢と出会い、クリー村出身のレヴォンという男に映写技師として採用します。
マリヤは映画館の再オープンの日にも現れました。初めて会った時との異なる印象を残して。
再オープンの日に現れたのはマリヤだけではありません。失踪したノアの父アンソニーも映画館にひっそりと姿を見せました。
チケットのもぎりをしていたシャーロットがアンソニーに気が付き、ノアに言います。2人はミナには黙っていようと決めます。
しかし、ミナも夫の姿を見ていました。ミナはシャーロットに告げますが、ノアには黙っていてほしいと約束させます。気が付いてるのにね。
映画館の再オープンが成功した日、ノアは眠れずラジオを聴きます。なるべくなら、遠くのラジオ局を聴こうとチャンネルを合わせようとするもつながりません。
ペリーがサムとへティーという育ての親の元に送られ、暮らすことなった時の混乱をノアは感じました。
ペリーが一輪車を練習していたのは、世界とバランスを保つためだったのかもしれない。
そう感じながら、ノアは飛行機がよく見える場所に向かいます。
そこで、ラジオ無線で出会ったことのあるおじいさんに出会います。そこで、聴いていたラジオはトロントでも聴けますよと言われ、反論します。
ノアにとって、同じラジオ番組でもサムとへティーのいる村から聴くのとトロントで聴くのは違うといいます。と言いながらへティーがいる風景を思い出します。
トーコにとっては、このエンディングが非常に謎でした。なんでこのシーンがいるのやら。真意がつかめない。
ただ、再読すると意味が分かりました。トロントに来てからノアはサムとへティーと過ごした日々を振り返っていないからでしょう。
懐かしいとか感じる前に、ミナからは映画館の再オープンに向けた仕事を割り振られ、休む暇もなくこなしていたのですから。
遠くの村から聴いていたラジオは、きっと街へのあこがれがあったからこそのものだったのでしょう。トロントで聴くのとはまた意味が違うものだとノアは感じていたのだと思います。
ノアの家族にとっても、映画館の再オープンは冒険だったのでしょう。
もちろん、ノアにとっても何かから脱皮したのだと思います。あー、それを成長というのか。
■最後に
ノアの成長の物語です。もちろん、ノアの周りの人たちの物語でもあります。
失くすことは何かを得るために必要なこと。小さな光がちりばめられた作品です。