こんばんは、トーコです。
今日は、桜木紫乃の『ふたりぐらし』です。
■あらすじ
映写技師の信好と看護師の紗弓は夫婦として暮らしている。紗弓の母親には結婚そのものを反対されているが。
些細な出来事も幸福に近づいていく。
夫婦って、いつから夫婦になって幸せになっていくのでしょう。
■作品を読んで
桜木紫乃さんの作品はこれまで幾度と紹介してきました。下に示します。
著者の作品全般に言えますが、トーコ的には人間の持つえぐみや闇の部分を、鋭く、時にはあっさりしすぎて美しさすら感じるように描きます。
たまにこうやって毒に刺されるような読書をしたいときにはおススメです。
が、この作品は著者の特徴が全くといいほど消えています。
全くは大げさですが、作品全体にすごく穏やかな時間が流れています。
人間の持つ感情もどうも優しく、どちらかというと見守るように描いています。
この著者はこんな作品も書けるんだなと、すごく作家の持つふり幅の大きさを感じました。
最初の頃の作品を2,3冊読んだら展開が一緒だったので、大丈夫かなと思ったのですが、杞憂でした。
では、作品の話です。この作品は信好と紗弓が夫婦となって少しずつ幸せに近づいてくる連作短編です。
信好は映写技師でしたが、技術の進歩により仕事がほぼなくなってしまい、看護師である紗弓の収入で暮らしています。
信好の母が亡くなる直前に、信好と紗弓の馴れ初めを話します。
偶然出会い、付き合いはじめ、紗弓の母親の反対を押し切り結婚し、今の状況であることを話します。信好の母親はそれを聞いた直後に亡くなります。
それから物語は進み、ささやかな嫉妬や疑い、秘密や嘘、どれもこれも夫婦2人で暮らすのには必要なことであることを2人は知ります。
それゆえに、時には腹の探り合いのようなことになってしまうのですが。
最後の2作品では信好も紗弓も夫婦というものに何か納得したり、核心を得るようなものを得ます。
信好の場合はこう。
隣に紗弓がいるあいだ、自分の真のかなしみには出会わずに済む気がした。ふたりでいれば、親の死でさえ流れゆく景色になる。
ふたりで乗り越えれば怖くない。本当の悲しみはきっとない。
ひとりを持ち寄ってふたりになる。寄り添いあうものがあるっていいのでしょうね。
紗弓の場合はこう。
近所のおばあちゃんと一緒に「リョウちゃん」という若い歌謡曲歌手のコンサートの帰りでの言葉。
年を取れば、どんな諍いも娯楽になっちゃうんだから
なるほどね。ふたりで過ごした過ぎ去っていった日々があるからこそ出てきた言葉。すごい。
夫婦ってこうして夫婦になるのでしょうね。
日々の何気ない出来事から、夫婦を維持していくのに、時には小さな嘘もすれ違いも必要なことだということを学び取ります。
夫婦のかたちはいろいろとある。何を良しとするかはふたり次第。
ひとりを持ち寄って夫婦になる。同じような方向を向いていればいいんだな、とちょっと温かく、ほっこりした気分になれます。
■最後に
日常にある些細な喜びも嫉妬も、時には必要な小さな嘘や疑惑も、夫婦になれば必要なこと。
少しずつですが、幸福になるところにたどり着くまでを優しく描いています。
著者の今までの作品にない作風です。
夫婦が夫婦になるまでの心の動きを穏やかに描いている作品です。