こんばんわ、トーコです。
今日は、塩野七生の『ローマ世界の終焉』です。
■あらすじ
単行本で数えること15冊目。紀元前700年から紀元400年までの物語がやっと終焉します。
永遠の都と言われたローマも少しずつですが、荒廃に向かっていきます。
■作品を読んで
トーコ、ついに読み切りました。全43巻(文庫本で)、しかもすべて定価で買いました。まあ、最初のころはトーコの母がハマって読んでいたので、ほぼただで読みましたが。
足かけ、15年ほどかけて読みましたよ。うん、長い道のりでした。
ちなみにですが、塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズは何回か取り上げていますので、よかったどうぞ。
5.「最後の努力」、59.「キリストの勝利」、93.「すべての道はローマに通ず」
特に、「すべての道はローマに通ず」はインフラ整備にかかわる仕事についている方にはお勧めです。
そのほかにも様々な著作のある方です。トーコも何回も取り上げています。
さて、本編に戻ります。
この巻は、紀元395年から歴史の授業で習うローマ帝国終焉の紀元476年に滅亡し、その後のローマ世界が描かれています。
驚くことは、この作品は文庫本で言うと3巻編成なのですが、滅亡したのが中巻の終わり、下巻は延々とローマ滅亡後の世界が描かれています。
まず、上巻から見ていきます。
テオドシウス帝亡き後は東ローマ帝国と西ローマ帝国の分離がより一層進むことになります。彼には2人の息子がおり、行動を共にしていた将軍スティリコに託します。
テオドシウス帝自身は分担して統治することを前提にしていた可能性があります。分離して統治するなら2人の息子それぞれに後見人を用意するからでしょう。(by著者)。しかし、図らずも益々の分離が進むことになります。
ちなみにこのスティリコさん、おそらく蛮族出身です。苗字から判断するにです。父は蛮族、母はローマ人のいわゆるミックスで、父系社会のローマでは下手をすると市民権がないかもわかりません。
そんな人でも出世ができる世の中に変わっているのですから、まあ、変わった変わった。とはいえ、カエサルのころから蛮族の登用はしていましたがね。
この人が「最後のローマ人」と言われるのですから、まあなんという皮肉でしょう。
とはいえ、この人が実質的に統治することになるローマ帝国は大変な時代でもあります。なぜ実質的に統治することになっているのか。
それは、テオドシウス帝の2人の息子に軍務が全くの不向きなためだったとか。
そして、この時代はローマ帝国初期の共和制と違い衰退期に入っています。プラス、蛮族の襲来によって防衛線(リメス)がどんどん縮小していく時代でもありました。共和制時代とは真逆になっていたのです。
ちょっと面白い言葉がありますので引用しますよ。
人間社会とは、活力が劣化するにつれて閉鎖的になっていくものでもある。このことは、時代の進展とはまったく関係ない。
なんだか、この言葉を実感する場面が多々ありすぎて、その通りとうなずくことしかできない。日本全体で、社会で、会社で。
トーコも色々な場面で感じているので、身に沁みます。衰退している世界を見ているからの言葉。
さらに、蛮族の襲来が多くなっていった3世紀ごろから農民たちは自分たちの住む場所を離れ、都市へ流入することを選ぶケースが増えてきました。都市の方が城壁に囲まれているので、今住んでいる場所よりかは安全かという考えでです。
そのおかけで、地方の過疎化と都市の過密化が進むことになります。ん、どこかで聞いたことがあるぞ。
しかし、5世紀になると農民の地方への回帰現象が起こります。ただし、農民から農奴へ移行しています。
3世紀ごろの農民は自分で土地を持つ「自作農」という区分の人たちです。農奴ということは自由と独立はありません。我々の時代から見るとデメリットでしかないです。
ところが、当時の置かれている状況をよく見ましょう。蛮族の襲来は農作物が根こそぎ奪われるだけではなく、そもそも住む住民たちの安全も脅かされます。さらに、いざ農作物を出荷しようとするものなら、蛮族の襲来だけでなく強盗にも襲われるリスクがあるほどの治安面ではボロボロの世の中でした。
そこに変わらない税金が待っています。決められた%を金貨で払わないといけないので、物価の変動は関係なかったのだとか。蛮族や強盗に襲われても変わらない税金が待っています。
大農園の農奴になるということは蛮族リスクや税金負担などがなくなるのです。しかも大農園となれば自警団もあるし、農作物の売りさばく方法も、税金も主人が考えてくれます。もはやひょえーとしか言いようがなくなっています。
自由よりも守ってくれる人をとらなければならないということは、世の中の悪化具合が半端ないです。想像したくありません。
さらに耳の痛い話が続きます。これを読みながら笑ってしまいました。
経済力の低下は人口の減少につながる。まず、やむをえず結婚できない人が増える。それはイコール、出生率の低下につながる。これに加えて、栄養が充分でなければ肉体の抵抗力は減退するから、病気にもかかりやすくなる。また、入浴を歓迎しないキリスト教の普及によって肉体を清潔に保つ生活習慣も失われていたので、蛮族や強盗に殺されなくても病気で死ぬものが増えていた。農民の地方への回帰現象を計算に入れたとしても、四世紀末から五世紀にかけての大都市の人口の減少は劇的さえある。
えっと、2000年代に入ってから非正規雇用の人が増え、ただでさえ団塊ジュニア世代は就職氷河期にぶち当たり職がままならない中で、非正規雇用の人が増えました。ええ、やむをえず結婚できない人が増えています。出生率は低下してます。
貧困問題も出てきています。栄養が充分でないので、健康が脅かされます。流石に入浴の習慣だけはあるので、多少は清潔かもわかりません。
何だこりゃ。1500年前からある問題なのかい。愕然とします。
さらにキリスト教の聖職者という生産しない人々が増加しますので、ますます社会がまわりません。怖い怖い。
このように、帝国末期を守っていたのは蛮族出身のローマ式教育を受けた人が、蛮族の襲来とともに「これは現代の日本ではないか」と思ってしまうレベルの様々な困難に向かっているのです。
あのおそらくですけど、現代の日本よりも閉塞感漂ってますよね、これ。
将軍スティリコが生きていたころの西ローマ帝国は、一応皇帝のテオドシウス帝の息子のホノリウスが皇帝になっていました。まあ、頼りがいは全くないのですが、なんとスティリコは死刑に処されます。
超重要人物を追いだして一体何になるのやらと思ったら、408年蛮族よるローマ劫掠を招きます。ローマをぐるっと囲む城壁が破られ、多くの犠牲者を出します。
まあ、これに懲りずに約40年経って皇帝ヴァレンティ二アヌスも腹心のアエティウスを殺し、蛮族によるローマ劫掠を再び招きます。
蛮族の方がよっぽど賢いように思うのはトーコだけでしょうか。権力者のなかよりも客観的に見ている人の方が情勢が分かっているとは。
そして、最後の将軍の名前はロムルス・アウグストゥス。彼は475年に皇帝になり、蛮族の長オドアケルが入城し、年金を保証する代わりに引退させられました。それ以降誰も皇帝になる人はいません。
これで帝国は滅びました。実にあっけない話です。とはいえ、度重なるローマ劫掠によりボロボロになっていたので、すでに多くの人は滅亡していたとでも思っていたことでしょう。
それからしばらくは蛮族によるパクス・バルバリカが保たれます。
だが、最後の息の根を止めたのは、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の始めた18年にもわたるゴート戦役というのですから、なんという皮肉。
18年の戦争で人口は激減し、土地は荒廃し、再興をリードする指導者層もいなくなるというのですから、ほとんどポル・ポト。さらにそこから15年に及ぶ凄まじい重税を課すといった圧政までやってきます。
なんだ、この最凶コンボ。それから圧政が終わって間もなく、ロンゴバルド族が襲来します。さらに酷い傷を残して。
それから、イスラム教が始まり、8世紀にはヨーロッパまでやってきます。いろいろと世の中変わりまくります。
ここからはきっと中世史で学ぶことでしょう。それは別の話。
■最後に
前にもきっと書いている気がするのですが、歴史を学ぶ意義は過去から学ぶということにつきます。過去にも似たような出来事があり、対策をきちんとしなかった場合はどうなるのかが分かります。
スケールこそ違えど、1つの国が勃興してから滅亡するまでを見届けるというのはそういう意味もあるのです。
日本もこうならないことを祈ります。
[…] なんだか前々回の「ローマ人の物語」を彷彿させます。306.「ローマ世界の終焉」。 […]