こんばんわ、トーコです。
今日は、米原万里の『ガセネッタ・シモネッタ』です。
■あらすじ
国際会議に絶対に必要な同時通訳。誤訳は致命的な事件を起こす可能性があり、常に緊張を強いられるのですが、実はダジャレが大好きだったりスる謎の人種でもあります。
「ふんどし」を一体どう訳すのやら、あるいはどう登場するのやら…。抱腹絶倒の通訳の裏側を描いたエッセイです。
■作品を読んで
では、まずほぼ恒例の米原万里作品の紹介です。
14.『打ちのめされるようなすごい本』、364.『パンツの面目 ふんどしの沽券』
また、妹さんによる姉の伝記をまとめています。良かったらどうぞ。219.『姉・米原万里』
364で紹介しているかもしれませんが、妹さんは井上ひさしと結婚されています。だから井上ゆり。
あるスピーチでのこと。このスピーチは失楽園(それも外国人だとミルトンを想像するが、日本人の場合は濡れ場の多い方の失楽園)+年増の人が多いを掛詞とし豊島園を出してきたというギャグ。
日本人は爆笑しているのですが、外国の人は何のことやら…。しかも苦労して訳してもおそらく外国人が理解する確率は少ない…。
という日本人からすれば身内ネタ状態のエピソードから、こんなセリフが聞こえてきます。
…、笑いほど時代や国情や身分や立場など文脈依存度の高い、つまり多言語に転換するのが難しい代物はない。なかでも、絶望的になるのが、言葉選び、掛詞や駄洒落の類である。通訳者が訳すことができるのは、言葉の意味だけで、言葉の響きや文字面に依拠する遊びは訳された言語では失われてしまうのだから当然ではある。なのに、同音異義語が多い日本語は、この言葉遊びに由来する笑いが多い。多すぎる。
というわけで、駄洒落には恨み骨髄のはずの同時通訳者たちのはずなのだが、病気じゃないかと思われるほどの駄洒落好きがむやみやたらと多いのが、この業界なのである。
駄洒落を訳すのは、はっきり言って難しいようですね。
しかも、国際会議等の場で日本人にしかわからないのに、外国人にこれを伝えるって結構至難の業。さらに、外国人にはこの面白さがなかなか伝わらない…。
というジレンマを抱えながらも、なぜか同時通訳業界の人は駄洒落好きが多いという謎の矛盾。
この引用の後、ドイツ語、韓国語、フランス語、イタリア語、スペイン語のどの大御所もなかなかの駄洒落を混ぜながらの会話がお見事過ぎます。実に、楽しそうな人たちが集まっています。
さらに下ネタまで来るのですから、いやー、楽しそうな人たちの集まりですね。
下ネタは実は駄洒落の逆で、言語、文化を超えて万人に通じます。駄洒落は狭く、排他的で、言語の壁を乗り越えるのは容易ではないです。
その理由を、こう分析します。
駄洒落によって、それがズレる快感こそが、笑いのもとなのだが、おそらく、通訳者は、仕事の上では常に意味のみを訳すことに縛られているため、意味から解き放される解放感にたまらなく惹かれるのではないだろうか。
ある意味、ストレスからの逃避なのかもしれないですね。とはいえ、全員同じような方向を向いているというのはある意味すごいかも。
ここから先は、同時通訳関連の小話がたくさん詰まっています。これまでの著作と同様に、爆笑過ぎて、お腹が痛いです。
あるエッセイで、通訳派遣会社が通訳に対するクレームをまとめたそうで、ぶっちぎりの苦情ナンバーワンは、服装だったのだとか。
アクセサリー過多、宴席に汗臭いポロシャツで現れた、派手で主賓より目立ったなど。
著者の周囲の通訳仲間を見ても、普通の会社では1か月以上やっていけるとは到底信じられないタイプばかり。
先ほど挙げたイタリア語通訳の田丸さんの作品を一応紹介していますので、良かったら。37.『シモネッタのどこまでいっても男と女』
この人もなかなかにキャラが立ってます。言われてみればそうかもしれないし、おそらく中ほどまで読めば同時通訳業界の人キャラ濃いと思う。
その一方で、外務省の通訳官の衣服は、黒か灰色か紺。通訳官曰く「透明人間になるよう努めています」とのこと。
師匠の徳永晴美氏は、通訳は失敗がつきもので、派手な格好をしていれば余計に目立つ、と言ってました。いわゆる悪目立ちってやつですね。
最後のまとめ方は、さすがです。存在を忘れさせるほど巧い技術が肝要なのだ、と。
ちなみに、通訳の神様はパルテノン神殿の9人の神様はよく知られていますが、その10人目の姉妹にあたるそうです。
通訳業って、結構由緒正しい神様に守られているんですね…。
時には、王侯貴族や首脳級の要人などに接触し、部外者立ち入り禁止の領域にも踏み込むこともあります。
例えば、英語通訳の方がイラン大使館に行くと、大使はうーんとなってしまいます。
男性の通訳をいまさら確保できず、急遽デパートで買ってきたアルマーニのスカーフをまいて、通訳をつとめ、ブランドもののスカーフをいただいて帰ってきました。
また、日本のトンネル掘削技術の見学に、イタリア国有鉄道の総裁にシモネッタ・ドッチこと田丸さんが随行した時のことです。
JR側が田丸さんにこういったそうです。
「女の方が立ち入るのは、どうかご勘弁を。工事現場の人間が騒ぎますので」
シモネッタは眉一つ動かすことなく落ち着き払って答えたそうだ。
「ええ、どうせわたしはフジョ―(不浄)の身でございますから」
「…」
「まあ、でもこのトンネルはリニアモーターカー用でございましたよねえ。かえって、フジョー(浮上)してよろしいじゃございませんこと」
このやり取りは吹き出しました。というか、文字を打ち込んでても面白いです。キャラ立ちが極まっている。
中には芋蔓読書の話や翻訳と通訳についての対談など、結構真剣な話もあります。
あとは、ロシアの書店事情でしょうか。ロシア人はなぜか日本のロシア語専門書店で買いあさっているので、なぜなのやらと状況を分析します。
それは、ソ連の時代の本屋はマルクス、エンゲルス、レーニンの著作や教科書、辞書はたくさんあるも、文芸書はほとんどないようで、新刊が販売される初日は長蛇の列ができるという状況。
ちなみに、一番人気があるのは発禁本。ばれたら怖いし、日本だったら売れる本は増刷するが、そこは社会主義計画経済の世界。ないらしい。
しかし、市場経済に移行するとその状況は変わります。ですが、なんだかんだで古き良き時代を知る著者にとっては寂しい時代がやってきます。
というか、日本の本屋の状況にも憂いています。本屋におかれているのは、雑誌と受験参考書と漫画だけという店が、ものすごい勢いで増えている。
2000年に単行本が発売されているということは、それ以前の話になるので、20世紀の終わりには既にその状況。
今の書店の状況を見たら、この人なんて言うんだろう…。教えてほしい。
■最後に
爆笑エッセイを通して、同時通訳の世界を垣間見ることができます。ここまで来るとこの業界面白そうだな、と錯覚しそうです。
他にも真面目なテーマもありますが、最後のオチは面白く、考えさせられる、文庫の表紙が特徴的な作品です。