こんばんわ、トーコです。
今日は、和田忠彦の『タブッキをめぐる九つの断章』です。
■あらすじ
アントニオ・タブッキを巡る旅を翻訳者である著者とともに歩く。
たどり着くのはいつも同じ場所なのかもしれないのだけど。
著者がタブッキについて書いた文書をまとめた作品集。
■作品を読んで
本編のまえにアントニオ・タブッキについて。
このブログでも紹介しています。確か、これ。169.「とるにたらないちいさないきちがい」
ちいさないきちがいを巧みに描いています。他にも「インド夜想曲」や「レクイエム」があります。
「インド夜想曲」の翻訳は須賀敦子で、彼女は生前に何冊かのタブッキの著作を訳しています。
須賀敦子が亡くなると本格的にタブッキの作品をほぼ著者が翻訳しています。
とはいえ、須賀敦子が亡くなる以前からタブッキの作品は訳しているようですが。
なので、今日本でタブッキに親しかった人の最たる方といっても過言ではないようです。
本編に戻ります。
タブッキと著者の物語は1999年に始まります。著者がポルトガルに行くところからです。
なぜイタリア人であるタブッキが故郷から離れたポルトガルで評価をもらっているのか、を知りたくなったからだそうです。
タブッキはイタリア出身ですが、ポルトガル文学研究者としての顔も持っており、やがてポルトガルに移住します。
しかも、タブッキはポルトガル語で小説を書き綴ります。ポルトガルの詩人ペソアについての作品です。
まさに「越境」の体現者に他ならない、と著者はタブッキを表します。
最初の第一章で述べますが、読者にはなんのこっちゃの方が多い気がします。
これがタブッキの風景の旅へのいざないです。
読み進めるとタブッキとペソアの関係性が随所に現れてきます。
主にタブッキの作品の解説、あとがきをまとめた作品のせいもあるのでしょうか、ペソアの影響が感じられる記述も多いです。
というか、現代小説が一種のプリズムだと評したうえで、プリズム=様々な視点から接近を試みています。タブッキ自身も著者との対談でペソアの視点で見ていることを認めています。
ここにペソアとの関係性の究極性が見て取れます。うむ、すごいな、こりゃ。
また、1つ意味深なことを言ってます。
「小説は自分の思うところに行く。批評家が期待するところにも、作家が望むところにも行かない」
タブッキの作品ってその通りです。これは一体どこに行くのだろうか、つかみどころのない。おそらくですが、読み手によって解釈が変わる作家に入ると思います。
1番なるほどな、と思ったのは「島とクジラと女をめぐる断片」という小説のこと。
「島とクジラと女をめぐる断片」の翻訳者は須賀敦子で、小説の解説は著者です。
そこで、須賀は「ピム港の女」とタイトルを訳しています。
著者は「ポルト・ピムの女」と訳すべきだと主張しています。そこまで強い口調ではないですけどね。
著者曰く、ポルトまでが地名のためポルト・ピムとすべきで、英語も仏語もポルト・ピムで訳しているが、と意見を述べます。
おそらく、大部分の人が一緒じゃん、と突っ込みたくなりますが、翻訳者がとらえるニュアンスの違いなんだな、と思いました。
■最後に
アントニオ・タブッキを良く知りたい方におススメです。
人となりやペソアの影響やタブッキを巡る事象に思いを寄せることができます。
たどり着くのは一体どこでしょうかね。