こんばんわ、トーコです。
今日は、パウロ・コエーリョの『弓を引く人』です。
■あらすじ
国で1番の弓の名人の哲也は、現在は小さな村の普通の大工として生きていた。
ある日、別の弓の名人から挑戦を受けた。また、少年のにも弓を教えることになった。
■作品を読んで
今回の作品はものすごく薄いです。ページ数で言えば、本自体が150ページはありません。なので、実質は130ページくらいだと思います。
ですが、あらすじだけでは表現しきれないものがものすごく詰まっています。
はっきり言って、違う意味で難解…。ゆっくりかみしめるように読まないと、大事なものを見落とします。
あらすじは、本当に障りでしかないというくらいです。ここまでネタバレにもならない作品が久しぶり過ぎる。
そして、この作品の翻訳者も山川夫妻。一体この2人、何歳…。80歳に近づいているよね…。この方の訳が好きだったりする、トーコ。
さて、作品に行きましょう。
遠い国から弓の名人がやってきます。哲也という平凡な大工に会いに行くために。実は哲也は弓の名人で、道を究めた後は大工になっていました。
遠い国の名人は、40m先のさくらんぼに矢をあてていました。久しぶりに弓をとり、哲也は20m先の桃に矢をあてます。
一見すると中身は名人の方がすごいのですが、哲也は、自分の後に名人も20m先の桃に矢をあてるように言います。名人はそこで失敗します。
そのあとの哲也の言葉です。
あなたは技術を十分に自分のものにし、確かに弓道をマスターしています。しかしながら、あなた自身のマインドをマスターしているとは言えません。あなたはすべての状況が整った場所では弓を射ることができるでしょう。しかし、危険な場所では的を当てることはできません。射手は常に戦場を選べるわけではありません。ですからもう一度練習を始めて、不利な状況に備えてください。どうぞ弓の道を歩み続けてください。なぜならばこれは一生の旅だからです。
技術があってもだめ。どんな名人にも、時には不利な状況がある。絶対のものはあるのかもしれない、けど弓の道に終わりはない。
この引用長いので最後はかなりはしょっていますが、魂を平穏にすることと的を正確に射ることは別問題だということは憶えておいてください。
だからこの名人は、予想外なことがあっても魂が平穏な状況で、的をうまく射ればいいのです。つまり、一定であり続けることが必要ってことでしょうか。
これを目の前で見ていた少年は、哲也に弟子入りを志願します。哲也は少年を教えることを拒みませんでした。
これがプロローグ、つまり序章です。これ以降は、まず仲間、道具(弓、矢、的)、姿勢、道具の持ち方・操り方、繰り返す、飛翔する矢、射手、エピローグと続きます。
まずは、仲間の章。
弓道家でありながら、弓矢を扱う喜びを他人と分かち合わない者は、自分自身の持つ良さと欠点について知ることはできないだろう。
それゆえに、弓道を始める前には、まず仲間を見つけなさい。仲間とは、あなたのしていることに興味を持ってくれる人たちのことだ。
『他の弓道家』を見つけなさいと、言っているのではない。弓道以外の、他の技術を持っている人を見つけなさいと言っているのだ。なぜならば、弓の道は、情熱をもって取り組まれているどのような道とも、何ひとつ違わないからである。
一体どう切り取ればいいのかと悩みつつも、結局すべて引用することになり、ゆえに長くなる引用…。
仲間というのは、弓の道にいる人だけではないようです。自分のすることに興味を持ってくれる人のこと。
おそらくですが、弓の道にいるのに弓矢を扱う喜びを他人と共有できないような奴といるよりは、他の道だけどそのことそのものに喜びをもって取り組んでいる人とともに切磋琢磨せよ、という意味な気がします。
この作品は弓の道といいつつも、一般的に何かに真剣に取り組んでいる、あるいは取り組んだことのある人ならば共感できることがたくさんあります。意外と普遍的な道でもあります。
なので、弓の道を究めることに対して興味を持ってくれる人は弓の道を追いかけている人ではなく、興味を持ってくれてかつ他の道で喜びをもって取り組んでいる人を仲間にすることで、より自分の持つ良さと欠点を知ることに近づくのです。
ふー、このパラグラフは良さと欠点を知るための仲間を見つけなさい、が言いたいはずなので、仲間集めが重要ではない…。
射手にはやがて、弓道のあらゆるルールを忘れ、完全に本能に従って行動し続けるようになるときがやってくる。しかし、ルールを忘れるようになるには、まずルールを尊重し、ルールを知らなければならない。
この状態に達したとき、もはや射手はそれまで彼の学びを助けてくれた道具を必要としなくなる。彼はすでに弓も矢も的も必要としない。なぜならば、彼を最初にその道に連れて行ってくれた道具よりも、道の方が大事だから。
ルールを忘れたというよりは、ルールを身体と心で会得してしまった、といった方が正しいのではと個人的には解釈します。そのためには、まずはルールを知ることが大事になります。
この状態になれば、道具はもういらないでしょうね。その道の導く先まで、自ら勝手に動くことができるから。
エピローグでは、哲也から弓の教えをもらった少年が、なぜ哲也が弓の道を歩んだのかを聞きます。
哲也にとっては、弓の道を歩むことで死の恐怖から逃れることができました。どんどん強くなっていくうちに、ある日哲也の師匠が「これまでの教えを生かし、お前の本当のやりたいことをしなさい」と言いました。
師匠は弓道家としての名声によって破滅するか、以前の生活に戻るかのどちらかになる前に、自分が1番楽しめることに一生を捧げることに飛び込めと言います。
そこで、哲也は大工仕事なら情熱をもってできそうだと思い、大工仕事をすることになります。
弓の道は人間のどの活動のなかにも存在することを少年は知りません。読者との秘密です。
こうしてみると、弓の道は私たちが生きて情熱を燃やしていることの道と共通していることが多いですね。
自分の道に置き換えて、あるいは振り返って読んでみるとかなりいい発見があるのではないでしょうか。
■最後に
弓の道について、かなり平易な言葉で書かれています。逆に大事なことを見逃しそうになるくらいです。
ですが、弓の道は人間のどんな活動のなかにも存在しています。発見の多い作品です。
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30.『ベロニカは死ぬことにした』、200.『ヴァルキリーズ』、375.『賢者の視点』、395.『第五の山』
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