こんばんわ、トーコです。
今日は、キム・エランの『ひこうき雲』です。
■あらすじ
ここで描かれているテーマは、裏切られたり、哀しみに包まれたり、誰かを失ったり、何かを犯したり。
この物語で生きる主人公たちは様々なことに直面しています。最後は、きっと幸せがある、と信じて。
■作品を読んで
ここで、著者の紹介からいきます。
キム・エランは、大学生の時に書いた短編で大山大学文学大賞という賞を受賞して作家デビューします。この時何も刊行物はなかったにもかかわらず、受賞するという奇跡を起こします。その後も作品を出すたびに主要な文学賞を総なめにしたそうです。
日本でいうところの、向田邦子みたい。確か、そんな感じだったっけ。
ちなみに、この作品の帯には「BTSも読んだ」と書かれていました。おそらく、韓国の読書好きには知られた作家なんだと思います。まあ、受賞歴を見るにそうか。
この作品を読んでの率直な感想は、韓国社会って大変で生きづらそうで、過酷なんだろうな、というのがひしひしと伝わってきます。それを情景とかでうまく訴えているのですから、まあすごい。
まあ、キム・エランの書く文章からは絶望といった暗さは全く感じさせていないのですが、冷静に考えるとそう思います。
作品に行きましょう。まずは、収録されている短編のタイトルです。
- そっちの夏はどう?
- 虫
- 水中のゴリアデ
- かの地に夜、ここに歌
- 一日の軸
- キューティクル
- ホテル ネアックター
- 三十歳
全部で8作ですね。なかなかに韓国社会を投影した作品が多いです。
個人的に印象に残っているのが、『水中のゴリアデ』。ゴリアデとは、旧約聖書に登場する巨人兵士のことのようです。ラピュタですか…。
15歳のぼくは母親と2人暮らしで、父親は工事現場でなくなってしました。
2人は、マンションに住む最後の住人となりました。それは、20年以上前に父親が貯めたお金で江山マンションを買いましたが、再開発計画により、立ち退き命令が下され、他の住民は出ていきました。せっかくローンが払い終わって自分のモノになった矢先の話でした。
このマンション内がかなり不気味なことが描写だけで良く伝わります。ちょっと断片を引用します。
周囲はゾッとするほど静かだった。たまに犬が吠えたが、ワンーという鳴き声の残響は、野原のひっそりとした静寂を際立たせるばかりだった。
(中略)
人の住まない建物はものすごいスピードで荒廃していった。頑丈なコンクリートの壁が果物みたいにぷよぷよになり、朽ちていくさまを驚きの目で見守った。廊下にはゴミと建築資材が転がっていた。空き家の割れたガラス窓から頻繁に雨が降りこんだ。ぼこぼこと開いた穴のせいで黒い口を広げているみたいなマンションの周囲に、じめじめぞくぞくする気配が絡みついた。
気味悪いマンションに住んでいることが、よーく伝わります。
季節はちょうど雨の降る季節。雨は毎日降り続き、梅雨が続きます。初めは日照りが続いたので恵みの雨かと思いきや、ずっと止まずにいます。
この雨の情景描写がすごいなあと思います。
世界は雨音に満ちていった。雨粒にはそれぞれの性質に合った落下の緩急とリズムがあった。でもそれもずっと聞いていると、ひとつの騒音のように思えてきた。自然は目と鼻の先で流れ、方向を変え、広がり、溢れながら獣のように激しく鳴り続けた。単純で圧倒的な鳴き声だった。
雨の音って、本当はいい音なんですよね。ですが、ずっと激しく降り続いている音って、結構すごい音だったりしますし、なんだか自分だけしかいないようにも思えてきます。家から出られないので、1人で暮らしていると余計思います。
とはいえ、主人公は本当に母親と2人暮らしのマンションに住む唯一の人ですから、遠くの人の気配とかないし、本当に絶海の孤島にいるような状態です。
雨の音が余計に孤独感を誘ってきます。しかも、鳴りやまない音に敏感になってきたことでしょう。気になることはそれくらいしかなくなりますからね。雨の音が獣のようという例えが秀逸だな、と個人的には思います。
ライフラインが止まると家は荒廃していきます。トイレができなくなり、歯磨きもできませんから、家の中で用が足せず、屋外で用を足します。いくら人が住んでいないとは言え恐ろしい匂いがします。
ニュースは見られなくなって数日になりますが、音楽を聴けたらと思うようになりました。自分以外の音が欲しくなるからです。
確かに、1人孤独と言うのは時に他の人間の音は確かに必要です。
そうこうしているうちに少しずつですが食べ物がつき、母は口数が少なくなります。しまいにはある日とうとう母が水を貯めていたビニール袋を刺しまくります。母は錯乱していました。
その次の日には雨が止みます。僕は外を見ると村がなくなっていました。さらに母に報告しようと起こしたら、母は亡くなっていました。
僕は一人ぼっちになってしまいました。そして、僕は一刻も早く脱出しなきゃと思い、玄関を開けて階段を降りました。
すると、マンションの浸水は1階と2階の間の階段まで上がってきていました。
僕は船を作ろうとドアを破ります。脱出をなんとか試みようとしますが、同時に母も連れて行かなきゃと思います。
それから母と一緒に漂流します。すごく孤独のなかの作業です。マンションを出れば誰かがすぐに発見してくれるだろうと思っていましたが、一向に助けは来ず、むしろそ外界の状況の方が凄惨でした。
絶望の中漂流し続けた結果母親が流されてしまいます。漂流者先は古木に巻きつかれました。助けようとするも、まるで古木が大丈夫だと言わんばかりに先へ進めと言います。
この漂流のシーンは、フリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』を思い出されます。たった1人で生きる男の姿を描いた作品です。いろいろと彷彿させるものがあります。
漂流は続きます。母を失しない、僕は鉄骨をじっとつかみながら泣きます。そしてこう叫びます。この表現は本当に衝撃というかガツンとやられます。
僕がはっきりと叫ぶことはしなかった気がします。
なんで僕をおいていかれたのですか。どうして僕だけ生かすことにされたのですか。これじゃあノアの箱舟じゃなくて刑具だ。お願いだから、もうやめてくださいと…。
流されているうちに、タワークレーンを発見します。タワークレーンの上には、死んだ父親がいました。
唯一の生き残りかもしれないと希望を持ちますが、タワークレーンのてっぺんにたどり着いても誰もいませんでした。
誰かがいて欲しかったのですが、また1人取り残されたことの事実の方がよっぽど恐ろしく恨めしかった。この絶望感、半端ないでしょうね。
どこに行くべきなのか何一つ分からない状態で、たった1人取り残されるとても悲惨すぎます。私だったら嫌です。
それからインスタントラーメンと1.5リットルのサイダーの用ボトルを発見します。
久しぶりに食べる食べ物は目に染みて涙が出てくるほどのものです。
そして父親の姿を回想します。父親が水泳を教えてくれたときの事、息の吸い方のコツを教えてくれたこと。それがこの時すごく役に立ち、水の中からは星がたくさん降り注いでいます。素敵なプレゼントもらったと喜びます。
雨は止みこの先の天気はわからないし、村の果てに何があるか分からないのと同じく、この先の僕の行方も分かりません。けれども少しだけでも希望が生まれ明るい兆しが見えるのかこの作品は終わります。なんか、表紙はこの作品なんだろうなあ、きっと。
このように、ストーリーとしても秀逸ながら、表現が滅茶苦茶いいので、この人の作品からは目が離せないんだろうな、と思わせてくれます。
次は何が出るかしら。
■最後に
韓国文学界の賞を総なめにした著者の初期の作品です。
ストーリーも秀逸ですが、描写表現が良さ過ぎるので、次はどんな作品が待っているのかと本当に目が離せない作家です。
■関連記事
過去にも、キム・エランの作品は紹介していますので、参考にどうぞ。
作中で彷彿させた作品です。
また、向田邦子作品も紹介します。
49.『無名仮名人名簿』、178.『お茶をどうぞ 向田邦子対談集』、210.『夜中の薔薇』