こんばんわ、トーコです。
今日は、多和田葉子の『献灯使』です。
■あらすじ
舞台は外来語もインターネットがなくなった日本。老人はすこぶる健康なのに、これからを担う子どもの方が体が弱い。
義郎はそんな曾孫の無名が心配でならない。そんなときに、無名は「献灯使」に選ばれる…。
■作品を読んで
ジュンク堂のブックカバーでずっと隠していたので、普段はそんなに意識していないのですが、この表紙ものすごく不気味ですね。
雰囲気に合っていると言えばあってますが、手に取るには結構勇気がいるかもしれません。トーコは勇気入りましたけど。
というか、仕事のお届け物に出かけたはいいが、読んでいた本が終わり、帰りの電車30分の道中の本がないという絶望的な状況になりました。
本の虫にとっては一大事です。30分もスマホいじるだなんて、時間の無駄。仕事よりも帰りの本がないことの方が重要です。同意できる方絶賛募集します。
そんなわけで、勤務時間中にジュンク堂に駆け込み急いで選ぶ羽目になったので、一瞬表紙の不気味さにひるみましたが、気にも留めずに買いました。
この前、ラジオで武田砂鉄さんと江國香織さんが対談していたのですが、2人とも外出中に本が切れないようにすると言ってましたが、めちゃくちゃ同意です。
この1件のおかげで、必要以上に本を持ち歩くようにしています。切れて勤務中に本屋に駆け込むことはもうやりたくないので。
良い子、良い社会人のみなさん、決してマネしないでください。
さて、ここで多和田葉子さんのこれまで紹介した作品です。
余談がだいぶ長くなりましたが、ここから作品紹介に移ります。
義郎は曾孫の無名と暮らしています。
この無名という男の子は、お世辞にも体が丈夫そうとは言えません。乳歯があっさり抜け、歯医者に行ったところ「乳歯の弱さは永久歯にも受け継がれます」という救いのないことを言われ、帰っていきます。
無名と同じ世代の子どもは、カルシウムを摂取する能力が足りないようで、無理やり牛乳を飲ませても下痢を起こすような有様です。
とはいえ、この世界はかなり変わっていて、義郎はおそらく100歳を超えていても恐ろしく元気です。
また、老人にも種類があるらしく、70歳過ぎたら若い老人、90歳過ぎたら中年の老人と呼ぶそうだ。吹き出すしかない。
60歳で定年退職する時代があったこと自体が不思議だと回想しだすのですから、この風景は間違いなく15年後には現実のものとなることでしょう。
健康という言葉が似合う子どもがいなくなってしまい、苦情が多くなった小児科医が労働組合を作って、労働時間を縮めたり、大手の製薬会社と手を切ったそう。って、余計ヤバくないか、子どもの健康…。
さらに、日本と海外を結ぶ線はすべて断たれてしまい、事実上の鎖国状態になるわ、都心から人がいなくなり廃墟となるわ、都心から逃げた人が東京の西部から京都にかけて暮らしているとか。
おまけに異常気象が発生し作物が思うように収穫できなくなり、北海道や沖縄に移住する人が増加するわ、のなんだこりゃな世界です。
さらに、銀行がつぶれたり、電話やインターネットがなくなり、日本政府が民営化されたり、100年も生きていれば常識は幾度となく変わるということを否が応でも見せつけられます。
極めつけは、曾孫の無名の誕生の時です。なんと曾孫が生まれた瞬間に無名の母親は亡くなってしまい、孫の飛藻は何かの依存症を治すための施設に入所していました。
さらに飛藻の親である娘の天南も沖縄に移住してしまい、すぐに駆け付ける状況にありません。なので、義郎は曾孫の無名を引き取り、今日まで育ててきました。
物語の中盤になり、義郎の視点からだけでなく、無名の視点から描かれていきます。学校が退屈だとか、なんでこんなに1週間が長いのだろうか。
極めつけは、なんで年寄りはあんな固いパンをかじることができるのだろう、と。普通逆だろう。
そして、自分の身体と曾おじいちゃんの身体があまりにも違うことにも自覚している。食べる量が違うことにも、逆なんですけどね。
無名が小学生の時に隣の家に睡蓮という車椅子に乗った女の子が引っ越ししてきます。しかし、急に引っ越しします。
15歳になった無名に、小学校の担任だった夜那谷に呼ばれ、献灯使として推薦することを告げます。
夜那谷は、無名の精神的な状態を見て適した人材だと判断し、ずっと成長を見守り続けていました。
無名は迷わず行くと答えます。献灯使になることで日本を脱出し、健康状態を研究することができます。地球は丸いのに曲線のように考えるしかないのです。民間レベルで合法ではないですが、鎖国政策に反しようとしています。
無名はその後、車椅子に乗った睡蓮に再会します。とはいえ、15歳の無名も車椅子で生活しています。歩けなくなっているのですから。
2人が会話して物語は閉じます。重要なので話しません。
最後に、夜那谷が小学校で教師として思ったことを。
あらゆる風習がでんぐり返しを繰り返すようになって、大人が「こうすれば正しい」と確信をもって教えてやれることがずんずん減っていった。自信に満ちた人は子供に信用されない。
100年以上生きることになったら、風習や常識は絶対に変わっていきますし、私が子どものころだった10~15年前よりも時が過ぎるのがあまりにも早くなっています。
解説でロバート・キャンベルさんも言ってるのですが、ディストピアの表現が金属的ではなく、あたかも本当に存在しそうな柔らかい世界のため余計ディストピア感が出ます。
本当に日本の近未来を予想しているかのような作品です。
■最後に
他にも様々な短編集があるのですが、表題作『献灯使』があまりにも衝撃的過ぎて、結果長くなりました。
存在しそうな柔らかさで描く近未来の日本が、ディストピア感満載で怖くなって仕方がありません。