こんばんわ、トーコです。
今日は、「次の東京オリンピックが来てしまう前に」です。
■あらすじ
このエッセイが3年続けばオリンピックになる。おそらく、このオリンピックはロクなもんにならない。
だから、オリンピックを掲げちゃって、だんだんと迫ってくる嫌な予感とともに日常を過ごすエッセイなんてどうでしょうか。
という著者の提案のもとウェブマガジンでの連載がスタートしたエッセイです。
■作品を読んで
このまえがきに記載の通りだったら、本当にすごいです。見事に予言している。しかも、戦争が近づき不穏になっている世の中でという例え付き。
2020年の4月から5月の最初の緊急事態宣言の時の監視社会的な雰囲気を見事に予測している…。
何だろう、オリンピックに対して結構多くの人が違和感を持っていたのね…。今更ながらそこにも驚きます。
2013年に東京オリンピックの開催が決定した時は茨城の片田舎でニュースを聞いていたので、「何が復興じゃ、こんな田舎じゃ関係ねえわ」と思っていました。
現在開催地の近くに住んでいますが、競技会場が近くにあるということを聞くまで知りませんでした。それくらい影の薄いイベントです。
不吉だと予言していた方が確かいましたねえ。237.「洋食小川」著:小川糸。
この作品の中でも違和感を示していたようにも思います。そういえば、オリンピックに対して肯定的な人の作品はないなあ読んでないなあ。不思議だ。
さて、本編に戻ります。
まず、この著者は何者なのか。というのも、エッセイの中で断片的に自己紹介をしていますので、その情報をたどると、
- 出身地は、千葉県銚子市
- 実家は、飲み屋を経営し、兄弟は2人(兄がいるらしい)
- 本業は、ジャズミュージシャンで、サックスを吹くらしい。
- このエッセイ連載中に、TBSラジオで担当していたラジオ番組が終わったらしく、若干恨み節が聞こえる
- 離婚歴があるらしい。
てな感じでなんとなく、著者のイメージが見えてくるかもしれません。ひょっとすると、この界隈では有名な方だったのかもしれません。
まあ、とにかく変なおっさん。スマホを意地でも持たず、ガラケーで頑張り、メルカリの存在を奥さんから聞いて初めて知る、とか。
意外と現代社会に迎合していない。まあ、これはウェブマガジン連載なので、厳密には一部分で迎合していない。
特に、雪の日にとんでもない薄着で外出し、タクシーを待っている間に凍りついて、妄想で若いガールフレンドとラブホでいちゃいちゃしていたら、インフルエンザA型になったという残念な話は爆笑しました。
それが思っている以上にシームレスに現実とフィクション(妄想)を行き来するから面白いです。
かと思えば、著者の昼夜逆転レベルが高すぎてびっくりします。まさか、早朝9時に就寝し、午後2時から3時に起床するという生き方をかれこれ四半世紀続けているようです。そんなわけで、遮光カーテンは結構値段がよく、品質がいいものでないとダメらしい。
なので、著者の平均的なランチタイム時間は深夜の3時になり、その頃に飲んでいれば著者にとっては「昼飲み」になるのだとか。
それにしても、このコロナ時代にこの生活は果たしてできるのでしょうかね。
というのも2021年3月下旬現在、飲み屋さんが21時に営業を終えてしまう状況です。銀だこすらテークアウト営業を21時過ぎれば終わる時代に、著者の昼夜逆転生活は成立するのやら…。夜の店は結構やってませんよ、今。今どうしているのか結構気になります。
ラブホの使い方が変わってるなあ、と感心してしまいます。
どうも著者にとってのラブホは、原稿に詰まったり、部屋が汚く、快適に眠れないとき、体がへとへと過ぎてジャグジーバスに入らないと無理な時に使用するらしい。
これは女性には出来なさそうな利用法ですわ。あ、でもラジオ番組でパーソナリティのアシスタントさん(女性)がホテルに入って原稿や資料をまとめた場所がラブホだった、というオチがあったっけ。
ちなみに、平成最後の日に行きつけのラブホに行ったら、なんと満室だったそうです。なんか、浮かれてんなぁ。
でも平成最後の日って、2019年なんですよね。つまりまだ2年前。何だろう、遠い昔の出来事な気がするのはトーコだけなんだろうか。
かと思えば、タイトルの裏にはちょっとした政治批判をうまく仕込んでいたり。
1994年の『ガキの使い』というタイトルで、のっけから選挙で自民党が大勝ちしたことについて述べているんですから。
しかも当時長続きしている安倍政権について結構的確な意見を述べていたり。
安倍政権が、嫌われながら、結構な長きにわたって、なんだかんだ安泰な原因は、ひとつしかない。「一見、気の利いたことを言っているようで、実は全然気が利いていないことしか口にしないから」
あー、なるほどね。なんか、納得。表面しか見れない人からの支持さえあれば十分、という考えのもとでしょうね。
だから、自分の病気であっさりやめることもできる。
全然気が利いていないことしか口にしていないし、一体どんなビジョンなのかが見えてこないので、本気になってやりたいことはない。むしろ、もうしんどいから下りたい。
2020年、オリンピックが近づくのと同時にコロナの足音が聞こえてくる中で、記事のタイトルがなかなかに秀逸です。
2020年3月のタイトルが「街中が彼女だらけになってしまった日に、彼女はいない」です。
マスクが品薄になり、途方に暮れている中で、ざわちんといういつもマスクしつつもものまねメークで一時期流行った人がいたのですが、その彼女にかけています。
なんか、このタイトルだけだとすごくいいんですけどね。個人的に。
でも、ここから最終回までコロナ渦でどう書けばいいのか悩みに悩んだそうです。しかも1回だけ掲載NGも出てしまったようです。
内容は別に掲載NGというほどのものではないと個人的には思います。おそらくですが、原因はタイトルな気がします。
志村けんが亡くなって若干間もないので、このタイトルは不謹慎と受け止められ、ウェブマガジン側に抗議が殺到するのを恐れたのでしょうか。
いずれにしても、掲載不可とかそういう措置が取られるんだ、と思わずにはいられません。
■最後に
なんと評していいのかわからないエッセイです。真面目なことも、そうじゃないことも著者なりの視点からまとめられています。
あっと思ったり、なるほどね、と思うことに出会えた時は非常に快感です。