こんばんわ、トーコです。
今日は、須賀敦子の『ユルスナールの靴』です。
■あらすじ
フランスの作家ユルスナ-ルに魅せられた著者が、ユルスナ-ルの生き方と著者自身を重ね合わせ、ユルスナ-ルの軌跡をたどっている。
■作品を読んで
なんというか、奇跡としか言いようのない作品です。
なかなかない展開を迎えますし、著者が亡くなってからもこんな形の作品というのはなかなかないのではないでしょうか。
簡単に言えば、ユルスナールという人の生き方から著者の感じたこと、痛み、出来事をなぞっている。なぞりつつ、ユルスナールの生涯も一緒に綴っているという作品です。
それにしても、つかみからすごいです。とはいえ、結構有名だったりしますが。
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。
この文章、読む前から聞いたことがあるのですが、トーコとしては靴を探すときの一種の基準です。
著者の靴を巡る話で一気に世界に引き込まれた後、次章からユルスナ-ルが登場します。
まずは、ユルスナ-ルの生まれた時の話。
なんとユルスナ-ルの母親はユルスナ-ルが幼い時に亡くなっています。
けど、母親がいなくてさぞかし寂しかったでしょうね、という感覚があまりにも幼く、記憶がないためよくわからない。
むしろ、母親代わりを務めてくれた女中がいなくなったことの方が悲しかったと。
この言葉は、著者の友人も同じことを言ったそうで、ユルスナ-ルのこのエピソードを読んだとき、友人の話がフラッシュバックしたそう。
ここを皮切りに、ユルスナ-ルの生涯と文学性を、著者自身の経験になぞらえながら、落ち着いた筆致で描いています。
この作品を読むと、ユルスナ-ルの生涯が本当に良くわかります。
なんといっても、ユルスナ-ルと旅は結構切り離せないものなんだな、というところでしょうか。
生涯で何回旅をしたのでしょう。そして、様々な人を伴っての旅です。
ユルスナ-ルの36歳の旅はアメリカへ数か月の旅のはずでした。
時はナチスドイツがポーランドに攻め込む1か月前。戦争は始まるかもしれないけど、1年経たないで終わるかもしれない。誰もがそう思っていました。
しかし、現実は違っていました。戦争は終わらない。帰れなくなって、そのうちに職を得てアメリカに住み続けました。
なんか、今の新型コロナ騒ぎと重なります。あっという間に終わるかと思いきや、全然終わらない。どこか当時の状況と重なります。
これを書きながら、だからハドリアヌス帝を書いたのか、と合点しました。
ハドリアヌス帝も生前ローマ帝国中をいろいろと歩き回っていたように思います。
とはいえ、ユルスナ-ルがハドリアヌス帝を書くきっかけはローマにあるハドリアヌスのヴィラを見たことのようです。トーコもそれを見たので、ちょっと嬉しい。
そして、著者自身もヨーロッパに行くのにすごい旅をしています。
読めばわかりますが、すごい命懸けです。この船に地上の身分何ぞ関係ないようです。
他にも様々なユルスナ-ルのエピソードとそこから紐解いていく筆者の思い出、想いをがたくさん綴られています。まだ話したいのですが、長くなりそうなのでここまでにします。
最後は、これまた靴の話で幕を閉じます。
ユルスナ-ルが亡くなる直前の写真を見て、ユルスナ-ルの履いている靴が気になったようです。
なんとユルスナ-ルの履いていた靴は、小さいころ筆者や友人が履いていたような形の靴で、革が柔らかそうで、足にピッタリ合っていました。写真でもわかるレベルで。
それから、最後に著者は足が弱ったらいったいどんな靴を履けばよいのだろうといいます。
まだ、この国には老人の履く靴がないため、この先自分が履く靴について想像を膨らませています。
といいつつも、誠に残念なのは著者がこの作品を最後に亡くなってしまったことです。
一体どんな靴を履こうとして、どんな靴を履いていたのでしょう。それはわかりません。
■最後に
著者のユルスナ-ルへの賛辞が、やがてユルスナ-ルの生きた軌跡へといざないます。
著者は、ユルスナ-ルが生きた軌跡と著者の生きた軌跡が文章の中で交錯させ、ひとつの織物のようになればと言ってますが、その通りの作品です。
もう2度も3度も現れない、奇跡のような作品です。
[…] 以前紹介した須賀敦子の「226.ユルスナールの靴」にも、自分に合う靴を履けばどこかに連れて行ってくれる的な記述がありました。 […]
[…] あ、自分に合う靴を履けばどこだって行けるは、須賀敦子の「ユルスナ-ルの靴」からです。 […]