こんばんわ、トーコです。
今日は、内田洋子の『皿の中に、イタリア』です。
■あらすじ
著者があるとき、カラブリアという街を書くために映画から書物やらいろいろなものをもとに調べたが、情報がなかった。
しかし、ひょんなことからカラブリアから著者の住むミラノまでやってくる魚屋の3兄弟と巡り合うことができた。
著者は3兄弟と接点をつかむため魚を買う。
■作品を読んで
魚売りの3兄弟と出会いますが、この3人本当に無口で何もしゃべりません。
3兄弟はとにかく時間通りに現れて、魚を売って帰ります。超淡々としてます。
そこで、筆者は大量の魚を買いました。1人暮らしでは処理しきれない量の魚を。
ここからはなんか日本っぽくなく、すごくイタリアのような気がします。
まず、ご近所の人を夕食に誘います。何人来るかわからないよ、という一言を添えて。
ついでに物々交換も行います。週明けにはご近所の方からいろいろもらえそうです。
さらには、気軽なパーティーということで知り合いに片っ端から電話を掛けます。
人を集め終わった後、食卓の準備を開始します。
同時に、しばらくの間金曜日は魚の日として我が家の門戸を開放しようかと思いながら。
す…すごい。なんか、コミュニティというものが消えてしまう前の日本みたい。
なんか、うらやましいんですが。これなら孤独死とか絶対にない気がする。
金曜日の魚の日の初回は、17人集まったそうです。知った顔は少なく、知り合いが知り合いを連れてきちゃった感じ。
って、おいおい。ツッコミどころ満載。
著者はこの日の大物イイダコを調理している最中に、白ワインをかけて蒸した後の蒸気から海の香りを感じ、これがカラブリアなんだと何となく理解します。
いい素材と良さを最大限に引き出せる材料。これがあれば十分おいしくなれます。
このエッセイは、3兄弟から買い付ける魚と、もてなされる人々、出会う人、そして様々な料理がうまく織りなされている気がします。
海洋生物を撮ることが専門のカメラマンと出会い、久しぶりに人間を撮りたくなったり。
ソラマメとの出会いは海外を飛び回る女記者の家だったり、トマトの水煮を作ったり。
元夫と元夫が結婚した他の妻とともに一家が集まってクリスマスパーティを行ったり。
オリーブオイルと近所の人の話だったり。
中でも、上司の話はなんだか働くものとしてすごく身につまされます。
新聞社で働く上司は何か国語も操れ、政治から芸能まで幅広い記事を書くことができる有能な人でした。
ただ、忙しいが故に食事は簡単なもので、連絡が来ればいつでも戻れるようにすること。
いつ食べられるかわからず、食べれたとしても手間のかからないものを選んでは食べるという生活に疲れ切ってしまい、ついにはそれを理由に辞めていったこと。
上司は去り際、「空港のバールで立ち食いする生活に、ほとほと疲れたのでね」と言い残して。
温かい食事を時間気にせず食べるという必要性は日本に限った話ではないのだな、とつくづく思います。
このエッセイを読んで、この上司ほど疲れているわけではないですが、温かいものを自分のために作ってあげないと干からびるんだろうな、と思ってしましました。
みなさんもどうか干からびる前に温かくておいしいものを食べてください。
それにしても、出てくる料理がおいしそうで、姿、情景、においがすごく伝わってきます。
食べたくもなるし、作りたくもなります。ラグーソース、そういえばまだ作っていないや。
早く作ろう。おいしくできるのやら。
■最後に
本当に出てくる食べものがアツアツでおいしいそうです。
イタリアの食べるものがおいしい理由がよくわかります。
「食べることは、生きること」という言葉がありますが、食べものを通して様々な人間模様を描いています。
温かくておいしい料理が食べたくなります。
[…] カラブリアと言われ、思い出したのが、内田洋子の「187.皿の中に、イタリア」という作品です。 […]