こんばんわ、トーコです。
今日は、穂村弘の『水中翼船炎上中』です。
■あらすじ
ゆるいエッセイや対談、評論等幅広く活躍している著者が出した歌集です。なんと、前回出したのが2001年なので、17年ぶりに刊行しています。
一体どんな短歌が収められているのでしょう。
■作品を読んで
以前紹介した「あの人と短歌」で触れられていた、穂村弘の最新歌集です。トーコも「あの人と短歌」を読んでから読んでみるかと思い、手に取った次第です。
これは前作から17年ぶりに出されたものです。そのせいなのでしょうか、表紙パターンはなんと9つあるという違う意味で豪華な歌集になっています。しかも、どうやら箱を開けるまでどのパターンかはわからないようになっています。
ちなみに、このブックデザインは名久井直子さんで、彼女との対談も「あの人と短歌」で綴られています。
そして、以前紹介した「あの人と短歌」の対談相手の方から言われていますが、短歌の時はエッセイの時と結構別人です。
それにしても、あのエッセイ(221.「君がいない夜のごはん」)を書いた人と同じだっけ、と思ってしまいました。
さて、作品を読んでいきましょう。なんだか、いろいろな場面を詠んでいます。例えばこれ。
オルゴールが曲の途中終わってもかわないのだむしろ普通
一瞬「へっ」と思うのですが、冷静に考えるとオルゴールってねじで回すやつは特にそうですが、曲の途中で終わってしまうことってよくある話。
よくある話を見事に切り取っているけど、普段はあんまりよく考えていないから改めて言われると一呼吸おいてから「確かにそうだわ」と納得してしまう一句。むしろ普通という超現代語の配置が見事過ぎる…。
俵万智が口語表現を用いるようになって革命を起こしましたが、この人の表現も十分革命を起こしています。
あと、この句は爆笑しました。
応答せよ、シラタキ、シラタキ応答せよ、お鍋の底のお箸ぐるぐる
読点が入ってもいいんですね、短歌って。字数足りてるのかと思わず数えました。短歌って五七五七七ですが、五七五の部分は字余りです。
まあ、形式って関係ないのでしょうな。それにしても、冬の夕ご飯の風景ですけど、まあ確かにそうだわ。
シラタキって結構お鍋の底にいて、食べたいのに底の方にいるから箸を突っ込まないといけない。この情景を描いたのでしょう。
なんか、すごく難しい任務でもしているのかい、と言いたくなるのですが、なあんだ、よくあるただの鍋の風景じゃん。
ネタも自由過ぎる。短歌ってこんなものだっけ、と考えはじめる。
次はこれ。
それぞれの夜の終わりにセロファンを肛門に貼る少年少女
「チャイムが違うような気がして」というタイトルページを開くとこの歌が飛び出します。はい…、色んな意味で絶句。
えーと、どうもギョウ虫検査は2015年に廃止されたようです。理由は寄生虫を持っている小学生の数は超大幅に減少し、必要性がなくなったとのこと。
とはいえ、トーコは2015年以前に小学生だったので、やりました。おるんかい、ケツの穴に虫なんぞ、と思いつつセロファン貼った記憶があります。
そう、この歌は今は亡きギョウ虫検査をうたったもの。ある時期に男女関係なくギョウ虫検査をしないといけないので、みんなやっている情景を描いています。
限りなく下ネタに近い、けど違う歌です。プラス、読者のほとんどは誰もが通った道でもあります。なので、若干懐かしい。けど、小学校の高学年に近づくにつれ少しずつ自我が出てくるものでもあります。
それにしても、よくこれを題材にうたったなあ、と思います。本当に。
さて、また次の歌。
ばらばらに流れはじめる校歌たち三つ通った小学校の
おそらくですが、この小学校3つの小学校が何らかの理由で統廃合した小学校なのでしょう。
何らかの理由というのは、あくまで読者側の推測の話でいいと思いますが、児童数の減少や施設の老朽化といったところでしょうか。
校歌を流しているときに、いきなり3つの小学校の元校歌たちが流れてくるのでしょうか。それとも、3つの校歌をもとにした新たな校歌のことでしょうか。トーコは前者のような気がしますけどね。
それにしても、ノスタルジーを感じずにはいられないです。結構多くの人が自分の通った小学校がなくなったという人は多いのではないでしょうか。これは田舎に限った話ではないので。中野区とかでも統廃合はあるようですよ。爆笑問題の田中さんの学校がなくなったとか言ってた気が。
時代の変化と言えば、こちらの歌も。
キヨスクから都こんぶが消えてから数年ののちに消えたキヨスク
駅のキヨスクからまずは都こんぶというなかなか渋いおやつが消えたと思ったら、いつの間にやらそのキヨスク自体が消えたという寂しいというか世知辛い情景をうたった歌。
先日久しぶりに池袋駅のホームで電車待ちをしていたらキヨスク、Newdaysが消え、自販機ばっかりになっていて、そういえば驚いた記憶があります。
きっとコロナ以前から消えていたんだと思うのですが、改めて見ると都こんぶどころか、売っている店が消えている。しかも、コロナで需要が減っているので、キヨスクは余計に減っているのが今のご時世。
この歌集はコロナ以前なので、こんな情景が少しずつ広がろうとしているさなかの歌な気がしますが、どうも未来を見事に予見しているようにしか見えない。
そんな歌もありますし、効果音やリフレインで歌が成立していたりと、短歌の表現ってここまで自由なんだ、と思わずにはいられない歌がたくさんあります。
■最後に
エッセイなどのほかの著作とは違う顔を見せる著者の最新歌集です。なかなかに表現方法が多様で読んでいて飽きずに読めます。
何気ない風景が表現次第でこうも見え方が変わるのかと驚きがいっぱいです。