こんばんわ、トーコです。
ついに(やっと)ですが、300記事に到達しました。長かったです。これからもよろしくお願いします。
今日は、石牟礼道子の『魂の秘境から』です。
■あらすじ
パーキンソン病を患いながらも、故郷の水俣・不知火海の風景を淡々と描き、新聞に連載されたエッセイです。
エッセイの合間には写真家芥川仁氏の写真が幻想的に挟められています。
■作品を読んで
コロナ渦なのか、なんだか知らないのですが、無性に石牟礼道子作品をいろいろと読みたくなっているこの頃。
ちなみにですが、以前にもこんな作品を紹介していますので、よかったらどうぞ。201.「椿の海の記」、270.「なみだふるはな」
きっとですが、石牟礼道子は早くから環境について描いていました。
子どものころから慣れ親しんだ故郷の海が化学物質により変容し、海の幸を食べた多くの罪なき人が病気に苦しみ、故郷の風景が一変したのが大きかったのかもしれません。
たまたま文学活動を行っており、著者の心もなかなかに純粋な心の持ち主のおかげか、早い段階から水俣病問題をまとめています。
そうです、不朽の名作「苦海浄土」です。この作品は1969年に刊行され、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しますが、辞退しています。「苦海浄土」そろそろ読もうかしらね。
個人的には、SDGsを進めたいのなら避けて通れない人のような気がします。レイチェル・カーソンとともに。
余談ですが、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」はかなり短めなのでおすすめです。レイチェル・カーソンとしては、まだまだ書きたかったことがあったと思いますが、「センス・オブ・ワンダー」執筆中に亡くなったため、短い作品になってしまったのだと思います。
前置きが超長くなりました。作品に入りましょう。
この作品は、著者の超最晩年に朝日新聞で連載されたエッセイたちをまとめたものです。
すでに石牟礼作品を読んでいると、なんか前に読んだっけなというエピソードも混じっているような気がします。
まず最初の作品。どこか、201.「椿の海の記」を彷彿させるものがあります。著者の子どもの頃の記憶です。
幼いころ、一家が引っ越すまで一緒に遊んでいた男の子について書かれています。
一緒に遊んでいたのに、友達になかなか引っ越すことが言えずにいましたが、引っ越す直前に絵本をもらいます。しかし、それも引っ越し先で高潮に遭い、流されてしまったのですが。その男の子と再び会うことはありませんでした。
それだけの話なのですが、冒頭のれんげの広がる野原や引っ越しするころの春の終わりの風景が見事に思い浮かべられます。毎回思うのですが、この風景描写は本当にすごいです。
なんというか、過ぎ去った記憶からスタートします。そして、まるで連載回数が決まっていて、そこから時系列に近い形でエピソードがちりばめられているようです。
まずは、最初のエピソードに示されたように幼き日の記憶。まるで、宝石のようにその時の豊饒の景色が浮かぶような文章が綴られています。
幼いころ、よく川や海に飛び込んでは運よく助けられ、お礼を言えずに終わったエピソード。つくづく、幼いことからとんでもないことをしでかす人間なのだな、と結んでいます。
夏の日の風景が浮かんできますし、その海がのちに化学物質まみれになり、大変なことになる前の平和な風景がそこにあります。
小学生のころ、いじめっ子にいじめられていたクロちゃんという子を助けたら、いじめっ子から報復を受けたり(近所の小父さんが何してんだ、と怒鳴って以降やめたのだとか)したときのこと。
当時は勉強ができるというのを言われるのが厭で、クロちゃんのように勉強に参加せず、ぶかぶかのセーラー服に墨汁やはなみずをつけていて、よく独り遊びしていたような子と仲良くなることが多かったようです。なんか、気持ちがわかりますが。
このエピソードから、のちに水俣病患者と縁ができてきたのだろうと回想します。
なんというか、著者は、様々な人と平等に寄り添うという類まれな才能があるんだと思います。だからこそ「苦海浄土」が書けたのだと思います。どんなに文学の才能があったとしても、人に寄り添えるという才能を持っているかはまた別問題な気がします。
そして、この作品を読んで初めて知るのですが、『沖の宮』という能を書いているそうです。天草四郎と四郎の乳母の娘のあやが主な登場人物です。
それから、少しずつ現代に近づいていきます。
息子さんがラジオを作り、ラジオからビートルズが聞こえてきたり。ちなみに、著者は勉強している息子を邪魔することをよくやっていたそうです。かなりお茶目な一面も見せています。
この連載の原稿を書いている最中に熊本地震がやってきます。6月分の原稿で熊本地震について言及しています。
被災当時、著者は介護施設にいました。パーキンソン病のために常時介護が必要なためです。
前震発生時、著者はとっさに逃げようとしてエプロンに蜜柑やら原稿などの荷物をかき集めていたら、気絶したそうです。気がついたら、ヘルパーさんたちがおり、足の痛みがあると著者は言いますが、血豆程度で大したことはないとのこと。
本震発生時はもう死ぬな、と思っていたところで倒れた家具を踏み越えた若いヘルパーさんにより救出されたとのこと。それから、病院に移り、介護施設の再開までの10日間ほど病院にいました。
しかし、施設に戻ってからも、自分の居場所がないという気持ちが深まるようであったとか。さらに、被災状況の酷かった益城町に行ったところ、変わり果てた街の姿を目の当たりにして発作が起こったのだそう。
やっぱり、生来の性格なのでしょう。誰かに寄り添えるという気質が。今回の場合は、悪い方向に作用したようですが。
最後に、印象に残っている部分を。
海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。
水俣病の患者さんたちは、そのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが、「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。
この作品の真髄はこの部分な気がしますし、大げさに聞こえるかもしれませんが、石牟礼道子はSDGsを超えた人でもあります。
この部分を読めば、石牟礼道子が環境問題の先を見つめることができた稀有な存在であることがわかる気がします。まさか、原点まで想いを寄せたとは…。
近代企業とは絶望的にすれ違ったという表現も、得てして妙だと思います。
さて、そろそろ「苦海浄土」読もうかしら。それにしても、怖いわ、読むのが。
■最後に
石牟礼道子の最後のエッセイ集です。本当にこれ以上の作品はありません。
子どもの頃の豊饒な風景と幻想に、現代の風景や熊本地震まで。様々な風景が描かれています。