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【老いるということ】367.『老いの身じたく』著:幸田文

投稿日:4月 4, 2022 更新日:

こんばんわ、トーコです。

今日は、幸田文の『老いの身じたく』です。

 

■あらすじ

幸田文が、自身の自身の老いを身近に感じるようになった頃に見聞きするようになったことを綴ったエッセイが集められています。

一体どんな年の取り方をしたいと思ったのでしょうかね。

 

■作品を読んで

まずは、幸田文作品の紹介です。342.『動物のぞき』

この作品は、もともと幸田文のテーマ別随筆シリーズの中に含まれるはずが、編集の初期段階から参加している娘の青木玉が拒否反応を示し、実現に至るまで10年の歳月が流れました。

とはいえ、編集のスタートの時点で青木玉は80歳を超えていたため、編集を通してとはいえ、老いの文章を読むことで自分の老いを見つめる作業をしなくてはならなかったので、向き合うものが増えるのでさぞかし嫌だったのでしょう。

なので、この作品は青木玉の娘である青木奈緒が編集しております。青木奈緒も母親の老いが急速に進み、介護を行わなければならなくなりました。

また、かつて随筆集を一緒に作った仲間もちょうど親の介護に明け暮れながらも、老いをテーマにした随筆を作ることを待っていたようでした。

ここまでは、あとがきに書かれていたことを抜粋しただけです。編集していただき、ありがとうございました。

それにしても、幸田露伴から数えて4代も文筆を生業にしているとは…。血は争えないのでしょうかね。スゲーわ。

さて、本題に行きましょう。

この随筆集は、幸田文が老いをテーマにしたエッセイをまとめています。

エッセイの末尾には、執筆時の年齢が記載されていますが、まあ若い。50歳ですって。

今の50歳と1955年の50歳は老いの近さとかがちがうのでしょうけど。それにしても、かなり真剣に考えてますわね…。

でも、こうしたものを読めば、一体どう年を取ればいいのかがわかる気がします。逆に怖くないかもしれませんね、老いることに。

編集していただき、ありがとうございました。(2回目)

で、冒頭のエッセイがこれなんですよね。

なにも人さまざま、老いて行く老い方も本当にさまざまである。

(中略)…。どういうのが一番品格高き老いぶりかと思うことがあるし、楽しく老いる、美しく老いるにはどうしたらいいのか、など思いふけることもある。

これは、幸田文63歳の時の文章です。なんとなく、老いを次の世代に示すために、ふと考えたようです。

でも、すでに57歳の時に答えを見つけています。

戦前には老人自身も周囲も、年よりを重々しく扱う習慣であったが、このへんで当人もまわりも、「軽くする」ことを考えたらどうかと思う。私は気軽でふわりとしたおばあさんになりたい。

キーワードは「軽く」だそうです。年をとると、身体も軽くなり、背負っているものも軽くなるので、より目指すことは可能になりますね。

さらに、「現在高」というエッセイでこう記しています。

老いの自覚があったら、ともあれ、体力能力気力、その他一切の持物の、現在高を確認すること、その上で何なりと選ぶ道を決めることです。終りよきものすべてよし、です。

病気とかになることもあるし、計算だけではうまくいかないけど、備えることはきっとできる。そんな気がします。

あとがきに孫から見た幸田文について言及があるのですが、この「終りよきものすべてよし」というのは口癖だったようです。

先天的な出発点は変えようがないけど、そのあとは努力次第で可変であり、終わりがよければ出発点の不遇を補って余りある、と。

明治生まれだからでしょうか、言い方がなんだかかっこいい…。終りよきものすべてよし、覚えておこう。

老後の身じたくではないでしょうが、父幸田露伴についても言及しています。

ちなみに、幸田家には露伴の肉筆の原稿や日記はそんなに残されていないようです。というのも、露伴から

おまえは俺が死んだあと、俺のことでなにかと思いわずらわされることが多かろうが、なるべく感情をあらびさせず、さらりと通りぬけていってもらいたい

との一言が効いているのか、あまり買い集めることもしなかったそうだ。そもそも戦争で焼けたものもあるので、総量としてはそこまで多くはないのでしょうが。

なんだか、先々に自分のことで苦労をしそうだからなるべく持つな、と言いたかったのでしょうね。いい父さんだなぁ。

とはいえ、露伴からすれば、自分が死んで残るのは他ならぬ娘の文だったのですからね。

まあ、家族しか知らない姿というもの面白い気がします。

「都市の緑」というエッセイでは、草むしりについての父の教え、年を取るにつれ雑草引きをしなくなり(このエッセイ執筆時御年80歳)も、雑草にも生きる力を見出していく過程を綴っています。

なんだか、この部分で雑草の見方が変わりました。

六十歳を過ぎてからは、これほど強い雑草にも、生きていくためには頼りどころを探す悲しさがある、と発見した。風がふき雨が降る。種は風と水に漂ううち、わずかなものかげやくぼみを頼りに、身を寄せる。そしてやっと生きていく。目にもつかぬほど弱よわしい雑草の芽が、敷石のかげにでているのを見て、そのいとおしさに涙が出た。

トーコは涙は出ないですが、都会の真ん中で雑草も生きるのは大変だと思います。生きる場所が言われてみれば、確かにない。

まあ、著者にとって雑草は子供や亭主よりも長く付き合っていることも回想していますが。それはそれですごいけど。

なんというか、この作品の構成は、幸田文の生き方を示しているのだと思います。

あとがきに記されているのですが、恐らくですが、胸を張って、しゃんとした一本筋の通った老女でいたいと思ったのだと思うのですが、そんな気がします。

というか、エッセイ全体がそんな感じの風を吹かせているような気がします。

これは、エッセイ自体がそういう風になっていますし、遺族が編集にかかわっていることで幸田文の人となりがうまく出るように構成されているのではないかと思っています。

大切なのは、身の回りの荷物を持たなさすぎないように、アンテナを張りながら、胸を張ってしゃんとした一本筋の通った人間でいることでしょうかね。

 

■最後に

老いをテーマにしたエッセイをまとめている随筆集です。とはいえ、老いだけをテーマにしたエッセイだけではないのですが。

幸田文の人となりや考え方が非常に一貫しており、老いについて、ひいては生き方についてのヒントが隠されています。

 

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