こんばんわ、トーコです。
今日は、穂村弘の『あの人と短歌』です。
■あらすじ
歌人穂村弘が様々なゲストと短歌について話した対談集です。
ここでは、作家や漫画家、モデル、翻訳家、詩人、俳人、同業者まで。みなさん一体どんなことを考えているのでしょう。
■作品を読んで
まず、穂村弘のエッセイを。221.「君がいない夜のごはん」。なんというか、歌人というよりは面白いエッセイ書く人という認識です。
というのも、歌集がなかなか多くないのも一因かもしれません。
まあ、対談集の中で俵万智も言ってますが、エッセイでは社会に適応できないヘタレキャラに近いです。
が、表紙の男性は作者本人なのですが、見た目はなかなかのシュっとしたイケメンで、歌もとんがっていてかっこいい。それがこの作品の著者です。その通り過ぎて、得てして妙だ。
この作品を読み進めると、トーコが思ったのは以下の3つです。
- 短歌の歴史がよくわかる
- 短歌とその人の考え方がよくわかる
- 対談相手の作品も気になる
というところでしょうか。
では、1つ目。短歌の歴史についてです。
特に短歌の歌人か俳人、詩人相手の時に結構出てくるのですが、特に最後の俵万智との対談では顕著にわかります。
俵万智も、著者も1990年前後にデビューし、2人とも口語で短歌を作っていました。この時代に口語で短歌を作ることはかなりの少数派で、俵万智の『サラダ記念日』は短歌界に革命をもたらすほどのインパクトをもたらしました。
今では口語で短歌を作ることは当たり前の時代なので、なかなかわからないものですが。
ちなみに、詩では、荻原朔太郎が1917年に『月に吠える』で口語表現を使用しています。『サラダ記念日』まで70年のタイムラグがありますね。
とはいえ、当の俵万智は、最初からがちがちに口語を使おうとしていたのではなく、文語表現を残しながら詠んでいます。
全面否定から入ったわけではないんですよね。だから、中学生の時に文学史の中に『サラダ記念日』があったのか、とようやく納得できました。
その2、短歌とその人の考え方がよくわかります。
作家の三浦しをんとの対談でのこと。短歌の解釈に驚きました。
わが残生それはさておきスーパーに賞味期限をたしかめをりぬ
この歌はおそらくスーパーで何かの賞味期限を見たときに自分の人生の残りを考えているのかな、とトーコは解釈したのですが、三浦しをんはなんとそのまんま解釈したようです。三浦しをんもザ・自称詩心のない人のようです。
トーコも、国語の時間で解釈はきっとこうだろうなと思っていたら、その時間取り上げられた8句すべての解釈予想を外すということをし、詩心ねーわ、と思っていましたが、学生時代よりはましになったようです。
小説家もない方はないようなので、安心していいのかもしれません(笑)。それだけ、短歌と小説は別物。
著者曰く、究極の短歌はあるようです。ちなみに、それができたら短歌は詠まれなくなるようです。三浦しをんは究極の小説はないと言いましたが。
モデルの知花くららとの対談もかなり面白かったです。知花さんはミス・ユニバースに選出され、内定をもらっていた出版社を辞退することにしたそうです。
ちなみに、彼女も短歌を詠んでおり、対談ののち角川短歌賞で佳作(著者と同じ賞)を受賞し、歌集も出したそう。すげえ。
対談当時の彼女の詠む作品は、海外詠が多いです。これは、知花さんがWFP国連世界食糧計画・日本大使として訪れた国や地域についてを歌として詠んでいるからだそう。
ただ、海外詠は相当難しいようです。というのも、観光案内のような絵はがき短歌になったり、海外に行ったことで何に対しても感動し作り手が先に感動するダメな短歌が生まれてしまうからです。
そのため、知花さんが海外詠の短歌を作る場合は、帰国してから詠むようにしているそうです。時間をおいてからじゃないと自分の言葉にならない、そうではないと客観的にならない。経験則からわかっているようです。
俳人の小澤實さんとの対話では、ちょっとした発見がありました。短歌と俳句の違いは音の長さもそうですが、そもそも表現の仕方も違います。
というのも、俳句は五七五しかないので、2つの場所や時間を詠むことができないのです。
プラス、七七がないおかげで短歌のように思念を詠むのは出来ないのです。ものを核に詠む形が中心になるそうです。
あー、そういう違いか。だから割と俳句って、詠んで字のごとくの解釈ができるのか。短歌は七七が追加されているからそこにもう1つの時間や場所、さらに詠み手の情念が入るから詠みの解釈が面倒なんだ、ということに納得がいきました。
トーコの長年の疑問がいくつも解決してる…。なんだ、この本。
ノンフィクション作家の保坂正康さんとの対談では、昭和天皇の詠んだ歌について話がありました。
昭和天皇は生前1万首の歌を詠んでいたそうです。この量は歌人でも詠めないと著者は指摘します。
ですが、昭和天皇が詠んだ歌の歌単体の良し悪しの評価は難しいようです。それは、日本国の象徴という存在が詠む歌を、一般ピープルである一歌人が評価するか…。作品以外の情報によって評価が下せない、と著者は言います。なるほどね。
さらに言えば、短歌には自分の気持ちや欲望が歌になって現れます。ですが、昭和天皇はそうではないでしょうね。
というか、皇族の歌会始で公開される歌って、個人的な気持ちを詠んだ歌はそんなに多くなかった印象があった気がします。
いずれにしても、今後天皇の詠んだ歌を評価できる方は現れることは決してないと思います。
最後に、「対談相手の作品が気になる」です。
対談の鳥居という歌人さんが気になります。というのも、天涯孤独のセーラー服歌人、というこれまたわけのわからないうたい文句で登場しているのもあります。
しかも、学校に通えず、拾った新聞で文字を覚えたという現代社会にこんな人いるの、という経歴の持ち主でもあります。
彼女の場合は、言葉から短歌を作るのではなく、出来事から歌を作るタイプの人。かなり壮絶な体験もありますし、それを一体どうやって表現しているのかが気になります。この人の歌集読みたいです。
また、俵万智さんの『サラダ記念日』も改めて読んでみたいです。そこまでの革命をもたらしたと言われてしまえば、読んでみたくなります。
あと、忘れていけないのは作者の最新歌集もです。一体どんな短歌があるのやらと、ちょっと気になります。
こんな感じに、対談を読んだことで次に読むものを決めてしまうことも可能です。さらに言えば、万葉集も読みたいなあと思っています。
そこに短歌の始まりがあるのですからね。
■最後に
対談を通して、短歌の歴史、短歌とは何か、この人にとっての短歌って何なのかがわかる本です。
対談相手の作品も気になったりとさらに世界を広げることができます。
[…] 以前紹介した「あの人と短歌」で触れられていた、穂村弘の最新歌集です。トーコも「あの人と短歌」を読んでから読んでみるかと思い、手に取った次第です。 […]
[…] 287.『あの人と短歌』著:穂村弘 でもインタビュー相手に登場しますが、この方は短歌にかなりの革命をもたらした人でもあります。 […]