こんばんわ、トーコです。
今日は、吉本ばななの『ミトンとふびん』です。
■あらすじ
金沢に、台北に、ヘルシンキに、ローマに…。
様々な場所を舞台に、めぐりゆく出会いとちいさな光に照らされた人生のよろこびにあたたかく包まれる作品が収録されています。
■作品を読んで
この作品は、なんといいますか、吉本ばなな独特の、他人にはまねできない死生観が色濃く出ています。
ちょっと久しぶりな感覚です。吉本ばななの新刊で、久しぶりにこの独特だけど癒される世界観を存分に味わえる作品になっている気がします。
さらさら読めるんですけどね。まあ一つ一つ見ていきましょう。
本書は、以下の短編が収録されています。
・夢の中
・SINSIN AND THE MOUSE
・ミトンとぶびん
・カロンテ
・珊瑚のリング
・情け嶋
2つ目の「SINSIN AND THE MOUSE」は、母親を亡くしたばかりの主人公が、遺産が入り、ちょっとだけ自分の楽しみ生かして、台北に行きます。
幼いころに父親と母親は離婚します。父親は事業に成功し、新しい家庭を築いていました。そのおかげで母親の治療については経済的には楽だったようです。
母親をみとることが最悪なことだと構えていた私は、一方でこんな考えを持つようになります。
生きていること、私がいることそれ自体が、すでに平和そのものなのだ。嵐も死もない、怯えて将来に来るこわいことや楽しそうなことに接する必要はない。私はいつだって私だ、と。
(中略)
覚悟が決まっていると見えてくる景色はみな穏やかで、地の底か海の底か、そんなところから眺めているようだった。
私は、人生は禍福で編まれた縄ではなくめくるめく瞬間の連なりなのだと思うようになった。
そうなんだよ、でもわからなかったか、と言いたくなるセリフです。
同時に、意外と景色は穏やかで、ちゃんと落ち着いて見られる。人生はそこまで厳しいものではないし、ただ奇跡とまではいかないけど、瞬間の集合体な気がしてくる。
それが人生で、再確認できる。私でいいし、その時の景色は穏やかなもの。
旅の道中で、私は友人を介して紹介されたシンシンという男性と仲良くなります。シンシンの母親は女優をやっていて、シンシン自身もちょっとだけ芸能活動をしていたようです。
ただなぜか、私とシンシンは妙にウマが合います。それは恋愛感情とは違うんですが、何かを失っているもの同士の共通項と言いますか。
なんだかその小ささがたまらなくて、むずむずするんだ。手を握りたいとか、抱きしめたいとか、もっと言うとその小さな服を脱がせたいとか思ってしまった。でも、誤解しないで欲しい。
(中略)
信じてもらうには時間がかかるかもね。でも、ただ性的な対象として見ているというのとは、全然違うんだ。もっと根源的な気持ちなんだ。小さいときから夢見ていたことみたいな。
シンシンには軽く恋愛感情が入りかかってますが、もっと根源的なところで。この根源的なところに共感が持てたり、発見ができないと吉本ばなな作品を読むのはきついかもしれませんね。トーコは、この救われる感じが好きですけど。
最後にシンシンと抱き合って、私はこう思います。
積み上げたものをまた失うのはわかっている。どんなに積み上げたって、死んでしまったらお別れ、そこでいったん終わるのだ。繊細に積み上げたお城だって、ある時のいない廃墟になる。
それでも私たちはなぜか積み上げ続ける。それが生きている証であるから。
この話を読んでいると、生きることは何かを積み上げ続けるものなんだな、とつくづく思います。積み上げたものも、死んだらリセット。
失敗してもまたコツコツと積み上げればいいのです。何度だってやり直せる。そういうことを静かに教えてくれているような気がします。
私がシンシンとの交流を通して、少しずつ気持ち的にほぐされ、再生というか静かに次に向かっていく様子が描かれています。
4つ目の「カロンテ」です。
私は、死んだ友だちの真理子の婚約者マッテオとローマで会います。
死んだ友だちという頭についている通りで、2人で会っている時には既に真理子は亡くなっています。
真理子を介して会っていた2人ですので、もう二度と会えないと思っていたのか、ロビーで会った瞬間にお互いの顔を見るなり泣き、抱き合ってしばらく泣いてしまいます。
私は、マッテオに真理子の遺品を渡します。遺品のネックレスを身につけたマッテオの様子を見て、私はあるべきところに収まったと思います。
泣きはらしている2人の間を割るかのように、マッテオの友人のジャンルーカが現れます。
マッテオはきっと若いから真理子を忘れて新しい人と一緒になるかもしれない。
けど、今の状態を見る限り、マッテオは真理子と共に人生を送るはずでした。私の悲しみとはわけが違います。実際はそうではないと思いますが。
そんな私はローマ滞在中に、真理子がマッテオとけんかして身を寄せていた健一に会うことができました。
健一は私に、真理子がマッテオとの仲直りのためのアニメを託します。真理子が渡すタイミングと健一の作成時期が合わず、私に託すほかなくなってしまったのです。それにしてもすごい偶然ですね…。
私が帰国前最後に、マッテオと食事をします。そのお店は「カロンテ」。真理子と待ち合わせてよく行ってた場所でした。
そこで、健一から託されていた真理子アニメをマッテオに渡します。マッテオは、真理子アニメを見て、真理子の死の不条理からほんの少しだけ救われていたようでした。
帰り道で、私はこう思います。
それがいっときだけのすがすがしさで、また悲しみがどんよりと襲ってくることを私は知っていた。でもこのいっときこそが命をつなぐ大切な水分なのだ。
大切な水分っていう例えが凄いですね…。生きているという実感でしょうかね。
一通りの出来事が終って、私は夫に連絡します。やはり悲しみは癒え切れているわけではないことは、夫はわかっていました。それを受けての夫の言葉です。
しじみ(私)が死んだわけじゃない。しじみはこれからも生きていくんだ。いろんな人に会って、もしかしたら僕たちの子どもにも出会うかもしれない。真理子さんを忘れる必要はない。でも、区切りは必ずある。薄れていくのが自然なんだ。今はほんとうに悲しむしかないときだから、ただしんぼうするしかないよ。
夫のあたたかい言葉を聞いて、私は孤独ではないことを感じます。真理子がいなくなっても、私の場所に戻ってくることができた。
なんだか、これも再生の1つの形だな、って思いました。
■最後に
喪失という大きな障害を迎えた人たちの、静かに立ち直っていく物語が詰まっています。
そんなときでも悲しみから少しずつ薄れ、再びコツコツと積み上げていこうと思えるようになっていきます。人間って、ある意味すごいかも。
■関連記事
最後に、これまでに紹介した吉本ばなな作品を解説していますので、良かったら併せて読んでみてください。
92.『キッチン』、154.『ハゴロモ』、261.『白川夜船』、281.『とかげ』、387.『イヤシノウタ』 です。
これで6冊紹介しました。ほかにも良い作品がありますので、どんどん紹介したいところです。