こんばんわ、トーコです。
今日は、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か』です。
■あらすじ
ハーバード大学の白熱教室でもおなじみのサンデル教授が問いかける、メリトクラシーによりエリートが傲慢になり、それ以外の人たちとの分断と格差をもたらしています。
果たして一体どうやって論じるのでしょうか。
■作品を読んで
ここで、著者のサンデル教授の紹介を。
10年前に学生時代だったころちょうど白熱教室が流行っていて、サンデル教授が日本で時の人でした。
が、この様子を見た教授が一言、「マイケル・サンデルって、もともとコミュニタリアリズムの代表的な論者で、この人はロールズ批判をしたことで有名な人。サンデルのロールズ批判は1980年代にはすでに行われていたので、何をいまさら有名になってんの」とのたまうのでした。
へ、そうなの…、と呆然とした記憶があります。
実はサンデル教授はこの政治思想史的な学問の世界ではすでに有名人で、世の中で流行っている様子の方が周回遅れもいいところ、という状態を聞かされるのが衝撃的でした。
学問の世界と世の中は違うのですな、と思ったものです。でも、いいものは形を変えて認められる。
それでサンデル教授は今でも覚えています。ロールズのリバタリアニズム批判をしたコミュニタリアンとしてです、当然。
ちなみに、もしドラというドラッカー解説本が流行っていた時も、経営学の教授は「何をいまさらドラッガーが流行ってんの」という調子でした。
さて、戻りましょうか。
これはアメリカだけの問題ではないのですが、行き過ぎた能力主義により持てる者がものがより強力になり、その一方で持たざる者は能力主義を前に切り捨てられ、三途の川のように格差と分断をもたらしています。
しかも、これが皮肉にも新型コロナウイルスによって明らかにされました。おそらくですが、全世界的にです。
サンデル教授は当然ですがアメリカの人なのでアメリカでのデータで分析していますが、まずこれは対岸の火事ではないです。
まず、一般の方からすると結構衝撃的な指標を示します。
ハーバード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1にあたる家庭の出身です。また、日本でも東大生の家庭の平均年収は約830万円とかなり恵まれている人が多い印象を与えます。
これはトーコが学生時代だった約10年前から明らかにされてきた話です。おそらく、国立大学に通う学生の親の平均年収は約600万円だったと思います。さらに言えば、平均年収は500~600万円稼ぐ男というのも20代のうちは1ケタパーセントというのも授業で聞かされていました。
とまあ、こんな感じで可視化されず認知がされていないだけで、実はずいぶん前からあった問題なのです。
さらに言えば、アメリカの場合ここ2,3年の間に不正入試問題が明るみに出たのが大きかったようです。
なんとまあ、内申書にやってもいないことをでっち上げ、子息を入学させるために大学い寄付金等を積み、それをもとに合否を判断されるのですから、お金持ち以外からすればたまったもんではありません。
一昔前に日本でもあったっけな、と思う話です。とはいえ、日本のように点数で決まる世界も金がモノ言う世界でもありますがね。金があっても本人に能力がなければ受からないですが。
このように、勝者と敗者の存在を分析し、能力至上主義が横行していく中で世の中が少しずつ分断されていったことを冷静に論じます。
ここまでが4章分のざっくりした要約です。ちょっと違う部分もあるかもしれませんが。
ここでのまとめはこうです。
過去40年にわたって政治を担ってきた高学歴の能力主義的エリートが犯した失敗の一つは、こうした問題を政治的議論の中心にうまく据えられなかったことだ。
中略…。だが、彼らの政治こそ、現在へつながった政治であり、権威主義的ポピュリストにつけ込まれる不満を生み出した政治なのだ。能力主義とテクノクラシーの失敗に向き合うことは、こうした不満に取り組み、共通善の政治を再び構想するために欠かせない一歩なのである。
マイケル・サンデルという人はコミュニタリアンと冒頭で触れておきましたが、実は共通善という言葉はコミュニタリアンの十八番です。
つまり、かなり大げさな分析をすると、この現代最大の難問と言われているこの能力主義の問題を論破できそうな人ナンバー1がまさにマイケル・サンデルという人です。
この作品は下手をするとロールズ批判並みに結構すごいことをしているかもしれません。まあ、一般書ではしないと思いますが、ここからが結構面白くなります。
ここから、過去半世紀において正義についての競合する2つの説があることを示します。
1つ目は、自由市場リベラリズムというもので主にハイエクの説を引用します。2つ目は、福祉国家リベラリズムというもので主にロールズの説を引用します。
まず様々な角度から、現代の世の中が能力主義的な気運の高まりに自由民主主義が対抗することができていない現実を示します。
しかし、ハイエクもロールズも、功績や手柄を正義の基盤としていません。
ハイエクの場合は、経済的報酬が功績の問題であることを否定するのは、再分配の要求に対抗する手段でもあります。ハイエクは新自由主義の人なので、基本的には所得の再配分には反対です。
ロールズの場合は、ハイエクの新自由主義に対抗する手段の論理です。つまり、裕福な人へ所得の再配分を要求することができるのです。
と、このように既存の理論のスキームでは全く説明することができない状態が推定でも20年は続いています。
さらにこの2つの対立は結果的に行き過ぎたメリトクラシーを生み出します。
能力があるものが強いのなら、能力主義者は自分の能力の賜物と勘違いし、その結果人々を鼓舞する力を失っていることに気が付かずにいました。
皮肉にも能力主義エリートはこの状況に気が付かず、人々の分断を生んでいたことにも当然気が付かなかったのです。
では、どうすればいいのか。サンデル教授の考える答えはきっとこれなのでしょう。
われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身にしみて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。
…中略。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。
おそらく、倫理がよくわからない人からこういう声が上がると思います。「当たり前やん」と。
しかし、困ったことにその当たり前がわからない人がたくさんいるからこういう事態に陥ってます。
マイケル・サンデルがもともと唱えていた共通善の考え方から上記の答えを導いたのだと思います。
答えはいつも1つではないですが、著者自身がまさかこの現代の最大の難問に答えることのできる唯一の人でもあるので、非常に説得力があります。これは話題になりますわ、正義の問題で見事に解き明かすことができているのですから。
期待以上の作品でした、これ。
■最後に
現代最大の難問に見事に解き明かします。最後の結論に「へっ」と拍子抜けするかもしれません。
私たちはこの問題をきちんと認識し、自分の持つ能力が運に基づいている部分もあることを自覚し、謙虚な姿勢で居続けることがとても重要なのだと思います。
[…] ちょうどコロナ渦になって、行き過ぎた資本主義を顧みる流れ(322.「実力も運のうち 能力主義は正義か」もご一緒にどうぞ)があり、その中でも早くから公害や環境問題に着目し、経済分析を行ってきた宇沢弘文の理論に注目が集まっているのも事実です。 […]
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