こんばんわ、トーコです。
今日は、キャサリン・M・ロジャーズの『猫の世界史』です。
■あらすじ
猫の登場から、絵画の中での描かれ方を通した人間と猫とのかかわり方の歴史を振り返っています。
時代によって人間と猫のかかわり方が変わっています。
■作品を読んで
とにかくありそうでなかった本。猫と世界史という非常に局所的な歴史をよくぞ取り上げました。でも、これ意外と需要ある気がする…。
テーマとしてすごくとっつきやすいと思います。
まず最初に、犬と猫の違いを述べています。ここではあくまでも、人間とのかかわり方の違いです。
人類が最初に飼いならした動物は犬です。犬は狩猟の時に一緒に行動を共にするようなったからでしょうかね。理由については言及がありません。
そうこうしているうちに、動物たちにとっていい感じではない象徴表現が生まれてしまいました。
犬は煩悩、豚は強欲、ヤギは好色、ロバは間抜けな頑固者というように。結構ひどい表現をあてちゃうような感じで、人間は動物を下に見ていました。
ところが、猫は飼いならされるのは最後だったせいか、うまいことかいくぐってきました。
猫の性質上結構気ままな感じが、逆に神秘的な存在として見られるようになります。その一方で、虐待の歴史もあります。
現代から見ると信じられない話ですが。というか、動物愛護団体が黙っちゃいませんが。
そんな猫の歴史の序章です。猫は犬よりも高いポジションにいることがひとまずできました。
古代エジプト時代では、猫はネズミ捕り用として飼われていました。ちなみに、古代エジプトでの猫の呼び方は、ミウ、ミイです。
なんと、現代でも人によっては猫を表す言葉としてつい使ってしまうような読み方なのには、若干驚きますが。
それから紀元前1450年くらいになると絵画にも登場するようになります。それから500年経つと猫の像がつくられます。トーコもこの絵はどこかで見たことがあるような気がしますが…。
ちなみに、当時は猫のミイラもあったので、お金持ちの家とかで飼われた猫は飼い主に気に入られ、死後も丁重に扱われるほどの地位があったのでしょうね、きっと。
それもそのはずで、古代エジプトが1番猫を伴侶として考えていたのですから。
それから、猫はエジプトからペルシャ、インドを経て極東までやってきます。
ゾロアスター教では猫は邪悪なものとして扱われ、ペルシャでも猫は敵視されていました。イスラム教は猫を大切にしますが…。インドでも猫は嫌悪されていました。良い扱いを受けたり、悪い扱いを受けたり、猫もさぞかし忙しいことでしょう。
さらに猫の扱いは中世になってもそこまで変わりません。猫がネズミを追いかけるのは、自分だけの利益を追い求めるイメージがついて回ります。
そこに加えて、猫が獲物にそろりそろりと忍び寄る姿が卑怯者として見えるようで、偽善者として描かれることも多かったです。
代表的なものとして、「イソップ物語」を挙げています。
偽善者として描かれる理由は、実はもう1つあります。それは獲物を捕まえる時とそうじゃないときの差が激しいから。これは西洋でも同じだと思う。
って、すごく人間の主観が丸出しな気がしますけど。猫に限った話ではないんですが。動物が生きのびるって、結構大変なのでしょう。
いつも険しい顔をするわけではないですからね、って、人間もそうですが…。
ちなみに、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」でも、シャイロックが猫は「役に立つ」「無害なもの」という扱いでした。スゲー一瞬をよくもまあ切り取ったこと。
つまり文学の世界ではそこまで猫は重要視されていなかったようです。まあ、シェイクスピアの時代のイギリスは、と但し書きを入れますが。
それよりも先に猫に注目したのは、美術の世界かもしれません。ルネサンス期の宗教画にはちょくちょく猫が出てきます。
また、世俗画が優勢になる時代でも、食べものを盗もうとするおちゃめな猫の姿を描いています。
猫の扱いが向上するのは、イギリスの場合は19世紀に入ってから。つまり、愛玩度が高くなったのはここ数百年の話なのです。
なんせ古代エジプトのころから話が始まっていますので、数百年がえらく短い短い。
イスラム教世界以外で猫をかわいがる存在の文化がなかったのに、19世紀になってやっとペットとして大切にされるようになりました。
とはいえ、フランスの方が猫のペット化は早く、18世紀つまりルイ14世のころから上流階級で猫はペットとして飼われています。これは猫に宛てた手紙や主人が猫を撫でている絵からも読み取れます。
主人が猫を撫でている絵に出てくる主人は、リシュリュー枢機卿というルイ13世の時代の政治家のことです。彼は世界で最初の愛猫家の1人としてカウントされています。
ちなみに、リシュリュー枢機卿は、神職から政治家に転じ、中央集権体制の強化と王権の強化に尽力し、絶対王政の基礎を築いた人でもあります。
中央集権化に反発する人も多かったことでしょうから、気が張っている生活を送っていたのだと思います。そのさなかで猫を撫でているのは息抜きだったのでしょう。
18世紀には中流階級にも猫をペットとして広まっています。早いですね。
本当に世界中の文学作品を集めたなあ、と思います。まさかの村上春樹が出てきます。この引用を読みながら『海辺のカフカ』は確かに猫が出てきていたなあ、と思い出します。以下はリンクです。
ちゃんと書いてるよね…、主要登場人物のナカタさんって確か猫と喋れる設定のはず。
ほぼ最後のあたりで、猫についてこうまとめています。
猫は私たちの身近にいながらも、よそよそしく遠い存在でもある。このことを含め、猫はさまざまな、そして逆説的なイメージを人々に持たせる。それが古今の画家や作家の想像力を刺激し、多くの作品を生み出す原動力となってきた。
今までの紹介の中で逆説的なイメージが読み取れれば幸いです。また、中盤で猫は女性のような存在で逆も然りで猫は女性という章もあります。
このようにどこか猫のつかみどころのない感じが、さまざまな逆説的なイメージを持たせてきたことをここまでで証明してきました。
考えてみれば、猫ってそうじゃん、って思う方もいらっしゃるかもしれません。
それによって素晴らしい作品を生み出すことができたのですから、猫の功績は大きいのでしょうね、きっと。
■最後に
猫が邪見に扱われたり、神聖なものとして扱われたり、やがてはペットとして家族の一員になったり。猫の歴史は忙しいです。
猫が可愛がられ、今現在に至るまでの過程が記されています。