こんばんわ、トーコです。
今日は、遠藤周作の『深い河(デーィプ・リバー)』です。
■あらすじ
妻と第2の人生を送ろうとした矢先に妻を亡くした男、その妻が入院していた病院に来ていた女、絵本作家の男、戦争時代の悔恨を埋めようとする男…。
様々な事情や背景を抱えた人たちが団体旅行で一緒になり、ガンジス河へ行く。
■作品を読んで
まず、今まで紹介した遠藤周作作品です。175.『白い人・黄色い人』
この作品は、先ほどの「白い人・黄色い人」とはまた違う面白さがあります。というか、作品のトーンはそこまで暗くはないからです。
さて、本編に行きましょう。
この作品は、あらすじでも紹介した通り、様々な想いを抱えた人たちが参加したガンジス旅行ツアーに参加します。
磯辺は妻を亡くします。亡くなる前に妻は、「必ず生まれ変わるから」と言い残します。妻を亡くして憔悴しきっているなか、姪を訪ねにアメリカに行きます。そこで、スピリチュアル研究の本を読み、生まれ変わりが本当にあることを知ります。
その生まれ変わりといった女の子はどうやらインドにいるようです。
成瀬は磯辺の妻が入院していた病院のボランティアでした。彼女は学生時代に興味を持った男性が妙に引っ掛かり、忘れられずにいます。
男性は大津といい、彼は学生時代に哲学を学んでおり、卒業後フランスで牧師との修行をしていましたが、いつの間にやらガンジス河のほとりにいました。
ほかに、木口という元日本兵で戦友の供養のために行きたいですとか、沼田という絵本作家は野鳥保護区に行きたいといいます。
なんだかみなさん旅行に対していろいろな事情を持っているようで。今の世の中に生きてると若干気後れするものがありますが…。
そして、ご多忙にも漏れずこの作品にもキリスト教の死生感というか、キリスト教のモチーフのようなものが横たわっています。
それは、大津の存在です。彼を軸に物語は静かに動いていきます。正直なところ、彼の方が主でほかの参加者の話が伏線なんじゃないかという気さえします。
それにしても、大津は不器用な人間なんだと思います。というか、授業中も理解できずいろいろな人にかみついています。
その状況をこう表現します。
ヨーロッパの考え方はあまりに明晰で論理的だと、感服せざるをえませんでしたが、そのあまりに明晰で、あまりに論理的なために、東洋人のぼくには何かが見落されているように思え、従いていけなったのです。ぼくには苦痛でさえありました。
ヨーロッパの考え方を日本人が理解するのは結構大変なのかもしれません。
なんというか、遠藤周作作品はかなりキリスト教的な考え方が横たわっている傾向にあります。おそらくこの作品はそれでもとっつきやすいの部類に入るかとは思うのですが、個人的に。まだ、やわらかいですよ、これは。175.「白い人・黄色い人」よりかは。
おそらくですが、遠藤周作自身もキリスト教徒だったようにも思いますが、この大津の想いは実は遠藤周作自身の想いでもあるかもしれません。
日本人的な感覚では、ヨーロッパのキリスト教に対して違和感を持ってしまうのでしょう。とはいえ、信仰自体は持ち合わせているのですが。
ヨーロッパ人から見たら(当時の)、大津の違和感への答えは誰も持ち合わせていなかったと思います。最終的に大津は神父になることは出来ませんでした。
やがて、大津は留学していたフランスからインドへ流れ着きます。さらに言えば、大津はキリスト教の寺院ではなく、ヒンディー教の埋葬施設で働いていました。
しかし、大津は物語の最後に重篤な状態になってしまいます。ツアーに参加していたカメラマン志望の男があろうことか誰も入ったことのないヒンディー教のお墓の写真を撮ろうとし、止めに入った大津が暴行を受け、首の骨を折ります。
とんだ皮肉なのですが、カメラマン志望の男は自分がどんな罪を犯しているのか全く知る由もなく帰国の途についていますが…。
一方で、成瀬は大津がなぜキリスト教を信仰しているのか全く理解ができませんでしたが、ガンジス河に沐浴し、なんとなく気が付きます。
「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っている光景です」
…「その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の河の深い悲しみ。そのなかにわたくしもまじっています」
この場合は、この作品の最大の肝です。人々がなぜガンジス河に行くのかがよくわかります。人によって様々な辛さを背負い、河で祈っています。
そして、河は静かに流れています。いつも、いつまでも。その光景は富める者も貧しき者も、旅人も一緒のある意味平等な光景です。
なんだかうまく説明できないのですが、この場面は感動的です。その場にいる人が皆、身分や置かれている状況関係なしにただただ流れる河を静かに見ることができるのです。
成瀬はひょっとするとですが、大津の信仰への想いは長年理解できずにいます。ですが、ガンジス河に入り、少しだけ大津の心情が分かったように思いました。
■最後に
様々な想いを胸にそれぞれの人がガンジス河に旅に出ます。
河の流れを見ながら祈る光景はきっと荘厳なものでもあり、何かを信じようと思ったりと何か自分が変われそうなきっかけを見ることができるかもしれません。
[…] 175.『白い人・黄色い人』、310.『深い河』 […]