こんばんわ、トーコです。
今日は、松山巌の『須賀敦子の方へ』です。
■あらすじ
須賀敦子という作家が亡くなってから20年。
「ミラノ 霧の風景」という処女作を発表してから、作家として活動した時間は10年ほどですが、今でも多くの人が彼女の作品に惹きつけられています。
須賀敦子と親しかった著者が、姿をたどるため丹念にたどった記録をまとめた本です。
■作品を読んで
これまでにこのブログでも須賀敦子の作品を紹介しています。
13.「ヴェネツィアの宿」、132.「主よ一羽の鳩のために」、226.ユルスナールの靴
これからも須賀敦子の作品を紹介していく予定です。
なぜかと言えば、率直に言えば、もっと多くの人に読んでほしいからです。
彼女の作品が発表されてから、20~30年の時が経っています。が、そこに書かれた言葉たちというのは、本当に今読んでも色あせることのない言葉たちだからです。
その証拠として、彼女に関する著作や文学全集が発行されています。
また、記念出版として6冊発行されるそうです。出版不況が叫ばれている中、すごいことだなと個人的には感動です。
さて、本題に移りましょう。
この本は、須賀敦子の幼少期から、戦争を終え、大学、フランス留学を決断するまでを著者とともにたどります。
須賀敦子は幼いころからかなりの読書家だったそうで、その読書家ぶりは半端なものではありません。
話はそれますが、新聞か雑誌の書評欄で書評を書いていたそうですが、なんというかコメントが秀逸です。
ちなみにその書評がまとめられた本があります。1、2冊は最低でもあります。
ここから将来への布石(ミラノ暮らしのころから作家として作品を出す段階)が読み取れるエピソードです。
この人の凄いところは、戦後間もないなかで大学で学び、さらに大学院に進んだことだ。
ただし、大学院に進学するときは、大学卒業から1年の中断期間が挟まれています。
この間何をしていたかというと、自分の将来を見出せず、社会が激変していく中でどうとらえればいいのかを迷っていたそうです。
自分の将来。まずこれは、当時は女性は大学を出たら実家に戻って花嫁修業が待っている。閉じ込められる、そんなの嫌だ。かといって学校という枠も死ぬほど嫌だったそうですが。
社会が激変するというのは、当時朝鮮戦争が勃発氏、再び日本は再軍備の方向に舵を切ってしまったのです。また悲惨な戦争を繰り返したくないと、キリスト教に改宗していた須賀は、カトリック連盟の学生たちとともに議論していたそうです。
そんな中で大学院に進学することを選んだそうです。当時にしては本当に珍しいことです。
それからフランス留学を決めました。立場的にも、就職しても賃金の男女格差が酷く、結局花嫁修業になってしまう。それ以上にキリスト教や文学を勉強したいと思い、留学を決心したのです。
女性がこの選択をすることがそもそもない時代に、すごい決断だなと思います。
須賀敦子は女がこうして活躍しない時代に新たな道を開拓した人で、それゆえの部分でこの人の生涯をたどるのは何か力を与えてくれます。
写真から見ると全くそんなイメージはないのですが、意外にも活発に動いていた人なんだなと思います。
■最後に
須賀敦子が亡くなって20年が経過しました。しかし、今でも彼女の文章は多くの人を惹きつけてやみません。
そんな彼女の日本での生きた軌跡をたどった作品です。彼女の文章の基礎は、この本を読めばどのように培われたかがわかります。
[…] 他の本をよく読むとわかるのですが、(トーコの場合はこちらを読んで何となく理解107.「須賀敦子の方へ」著:松山巌)この方はキリスト教というものを学ぶために留学をします。 […]