こんばんわ、トーコです。
今日は、フリオ・リャマサーレスの『黄色い雨』です。
■あらすじ
舞台はスペインの山奥の廃村。一人また一人と村を去っていくうちに、男は最後の1人の住民となる。
圧倒的な孤独と朽ちていく家屋がより一層の孤独の印象を強めていく…。
■作品を読んで
スペインの廃村が舞台ですが、日本でも廃村になり人がいなくなり、人家は放置されているので朽ち果ててしまっている集落は存在しています。
「ポツンと一軒家」で、住民の方が紹介していると思います。「ここは昔小学校だった」とか「集落があった」とか。朽ち果てすぎて面影がないと思いますが。
その手前が限界集落です。これも一時期問題になっていたようにも思います。
この作品は、3篇の小説が収録されていて、その中でも表題作『黄色い雨』は突出しています。
まず、作品の冒頭で物語の舞台であるアイ二ェーリェ村の荒廃した様子が生々しく描かれています。こんな感じです。
峠から見ると、アイニェーリェ村は崖にしがみつくようにして建っており、湿気と目のくらむような川のせいで崩れ落ちた敷石とスレートが雪崩をうって落ちそうになっている。川のそばの背の低い家のガラスとスレートだけが黄昏の残光を浴びて微かに光っているのだろう。それ以外、あたりは沈黙と静寂に包まれている。物音ひとつせず、立ちのぼる煙も見えず、通りには人影どころか生き物の姿ひとつ見当たらない。無数に並んでいる窓のどこを見てもカーテンは揺れていないし、その前でシーツがはためいてもいない、遠くから見ると、人の住んでいる気配が感じられないだろう。
長い引用になりましたが、想像するだけでかなりぞっとする風景です。うう、トーコはいくら静かで人里から離れているとはいえ、ずっとは暮らしたくないです。
建物が朽ちて、人の手が入らないと何が起こるでしょうか。雑草が生い茂ります。ここでも、イラクサの生命力がさりげなく描かれています。
初めて村に来た人はきっとこう思うでしょう。こんなところに住んでいるなんて、狂人しかいない。
それくらいアイニェーリェ村は荒廃と死に支配されている、結構恐ろしい村です。
そんな村に1人の男が住んでいました。というか、最後の家族が村から去って、夫婦で残され、その妻が亡くなってしまったことにより1人になった男がいました。
最後の家族が村を去った日、最後の家族は夫婦を訪ねましたが、応答はしませんでした。最後になるというのをまざまざと思い知らされるからでしょう。おー、いやだわ。
それは、ポプラの木に情け容赦のない風が吹き、冬が訪れの早かった時の話です。2人きりで初めて迎える冬となりました。
また冬という時期に取り残されるなんて、読むこっちに余計淋しさを感じさせます。ただでさえ冬という時期が寂しいのに。しかも、情景と絡めてくるから見事としか言いようがないです。
最後の家族が去ってから、男の妻サビーナに変化が。毎晩犬とともに近所をさまよい歩くようになり、日中はうつろになっていきます。
これは俗にいう、うつ状態に陥ってしまったのでしょうね。アリストテレスも言ってたと思いますが、人間は社会的動物です。社会と隔絶されたら普通の人は生きられないはずです。
妻のサビーナも夫しかいない村で一体何を生きがいにどうすればいいのか、わからなくなったのだと思います。そして、サビーナは首を吊って自殺します。
これで男は本当に1人になります。それから、妻の死体を様々なものが入ったブリキのトランクとともに埋めます。
ここまでで45ページです。ここからは、男がたった1人でアイニェーリェ村でどんな風景を見ながら生きていくのかをとうとうと語っていきます。
なかなか結末が詠めてしまっているこちらとしては、しんどいところもあるかもしれないので、個人的にはそこそこ元気な時に読むことをお勧めします。
さて、ここからは男が1人でサバイバルしていく姿が描かれています。1961年の年末から1人になりました。
1人になると厄介なことは、いやでも自分と向き合わないといけないこと。なので、過去の思い出を守ることで自分を守ることにしました。
こうしていると、心境がこう変化します。
川が淀むように、急に人生の流れが止まってしまったのだ。今、私の目の前に広がっているのは、死に彩られた荒涼広漠とした風景と血も樹液も枯れてしまった人間と木々が立っている果てしない秋、忘却の黄色い雨だけだ。
長く果てしない別れのはじまりです。普通の人間からすると地獄です。人間は社会的動物なので、半分死んでますね。
ここで、黄色い雨という言葉が出てきます。タイトルです。意味が結構恐ろしいことがわかります。
出て行った息子を思い出し、息子がいればこうなったのだろうか、と後悔しだします。
描写のおかげで美しく過ぎ去っていくのですが、風景描写が見事じゃなければこれはトーコ的には結構ホラーです。
沈黙や孤独がこんなに怖いものだということを思い知らされます。少しずつですが、緩やかに1人の人間の死と村の死が近づいてきます。
というか、最後は様々なものの亡霊とともに生きながら、力を尽き果てていきます。ポプラの葉の落葉が死の象徴として。
だから「黄色い雨」なのです。
■最後に
人もいなくなり、朽ち果てていく村に1人住んでいる男の最期を美しい風景描写とともに描いています。
詩のように美しい風景描写がより一層の孤独ややり場のない感情をかき立てます。
[…] 356.『黄色い雨』著:フリオ・リャマサーレス […]