こんばんわ、トーコです。
今日は、向田邦子の『夜中の薔薇』です。
■あらすじ
鋭い感性と好奇心が惜しみなく発揮されたエッセイが収録されています。
著者が亡くなる前から出版が進められていましたが、飛行機事故で亡くなってしまったので、この作品が著者が関わっていたという意味では最後の作品です。
■作品を読んで
本書のタイトルである「夜中の薔薇」を何かと似ているな、と思いました。
そういえば、シューベルトが「野ばら」という曲を書いていた気がします。
その中に、「野中のバ~ラ」とうたう部分があり、それを思い出しました。
本書の中に、「夜中の薔薇」というエッセイがあり、やはりそこにも出てきます。
シューベルトの「野ばら」。ちなみに、なぜ「夜中の薔薇」かというのは、友人の勘違い。
長いこと「野中のバラ」が「夜中のバラ」と思っていたことから来たとか。
なんだか、「台風一過」を「台風一家」と本気で勘違いしていた身からするとわからなくもない話。
そこから、関連する思い出をなぞっていきます。小学生の時の出来事、ディレクターと喧嘩したこと、花びらが落ちる音がしたこと、戦後直後のこと。
最後には、自宅に薔薇の花束が置かれてあり、見事なバラ風呂になったことが書かれています。
なんだか、無事に戻ってこれました。最後は「くれないにおう、夜中の薔薇」で締めてます。以上夜中の薔薇のおはなし。
印象に残ったのは、海苔弁の話です。
著者の子供のころ、つまり戦前のお弁当の話。時代をいろいろ感じます。
著者は、意外と子供のころに食べた海苔弁がおいしかったと書いています。なぜか。
まず、素材の条件が現代とあまりにも違いすぎるからでしょうね。
特にかつお節については、今のパックのものというのがなかった時代の話になるので、すごいです。
かつお節をきちんと削ります。
確かかつお節は石のような塊だったと思うので、濡れ布巾でかつお節を包み、しめりを与え、削りやすいようにします。
それから、カンナで削ります。子供のころトーコも見たことがあります。父か母がかつお節を削っていました。木くずのように出てきましたね。ひらひらと。
確かにパックのかつお節からいい匂いはしませんね。合成品になって便利にはなったけど、ホンモノを忘れているような気がします。
海苔も朝火鉢できちんとあぶっていたのでしょうか。冷静に考えると、この海苔も合成品でない可能性は高いです。戦前ですからね。
海苔の描写もなかなかにおいしそうでした。
読んでいるこっちも、この海苔弁はうらやましいなあ、と思いました。
海苔弁って単純で面白みがないけど、合成品ではないもので集められた海苔弁は絶対においしいよなぁ。
現代で食べようとしたら、金額的に馬鹿にならないし、手間もかかるから、昔の人ってすごい。
もう1回言いますが、この海苔弁絶対においしいし、食べてみたい。
■最後に
紹介しきれていませんが、様々なテーマのエッセイが収録されています。
食べものを描かさせればおいしそうに感じるし、人物を描けばどんな人かが浮かんでくる。
本当に描写力には脱帽します。それでいて、内容も面白いですよ。