こんばんわ、トーコです。
今日は、朝井リョウの『正欲』です。
■あらすじ
大学生の八重子、子どもが不登校になった検事の男、ある秘密を抱えて生きる夏月。ある事件により、3人はつながっていきます。
多様性とは何か、私たちの想像力を超える何かがあります。
■作品を読んで
これまでに朝井リョウ作品は幾度となく紹介しましたが、なんというか、これまでのどの作品にもない独特の魅力を放っているような気がします。
作品を読みながら思ったのは、ああ、この人はこんな感じの観念的な作品が本当は書きたかったんだな、と思いました。
エッセイとかで見られるように、ちょっと意識過剰じゃないかという感じがちょっとずつ小説のなかにも落とし込まれているような気がしました。
迫力があり、考えさせられるものもあり、ここ最近読んでいた本と比べてもだいぶ気分転換になった気がします。
それでは、作品を見ていきましょう。
まず、冒頭で作品に入る前のナレーションのようなものが書かれています。
ある時気がつきます。街頭で見る広告は一見独立しているように見えますが、実はあるゴールに向かっていること。
それは、「明日死なないこと」。この世界が【誰もが「明日、死にたくない」と感じていること】を大前提にしています。
なんつーか、スゲー前提。当たり前と言えば当たり前なんですけど。要はみんな何かしらの思いを抱えつつも、明日が無事に終わることを祈っている。
それから、次に児童ポルノで男たちが摘発される記事が出てきます。
容疑者は、佐々木佳道という大手食品会社勤務の会社員、小学校の非常勤講師の矢田部、国公立大学の大学生諸橋大也も3人。
一体この記事は何の関係があるのか、読み手には全く見えてこない中物語は進んでいきます。
寺井啓喜は検事で、妻と息子の3人で横浜のマイホームで暮らしています。
絵に描いたような幸せな家庭のように見えますが、息子は小学校を受験するも、引きこもりになります。
しかし、息子が不登校児の体力づくりを支援するNPO主宰のイベントに行くことで息子は少しずつ変わっていきます。
神戸八重子は、大学の文化祭でミスコン・ミスターコンという今までの恒例行事から、ダイバーシティフェスを開催することに奮闘しています。
彼女の家も、兄が引きこもりです。しかも、引きこもりになる前日に見た兄のPCにロリコン画像の検索のあとを見て、八重子は男性恐怖症になります。
桐生夏月は、岡山のショッピングモールで寝具店の店員をしています。地元に残るも、地元の同級生になるべく会わないように努めていました。
そんな時に、ついに仕事中に同級生と再会します。同級生同士で結婚し、子どもを育てている光景を見て、もやっとします。
さらに、同級生の結婚式のあと、中学校の同窓会をしようという話が持ち上がっていて、夏月も誘われます。
なんというか、この3人の関係性は一体どこにあるのか、序盤では全く分からないです。どんどん進みます。
神戸八重子は、文化祭のイベント準備の中で『スペード』というダンスサークルとそのメンバーの諸橋大也に出会います。
諸橋は八重子と同じ学部で、のちにゼミも一緒になります。八重子は諸橋に生まれて初めて恋します。というか、なぜか恋愛感情が沸いてきたという方が正しいです。
桐生夏月も渋々参加した同窓会で、中学3年の1月に転校した佐々木佳道に再会します。彼女は、直感で佐々木とはどこか似ているものがあると感じていました。
同時に、親から結婚はまだかとちらつかせられながら生きるのに苦しさも感じていました。性欲が一切ないようですからね。子供を産みたいという欲求もないようですし。
寺井啓喜の息子は結局NPO主宰のイベントに出席します。そこで、同じ境遇の男の子と友達になり、2人でYouTubeを始めます。
このYouTubeを夏月も、佐々木も、諸橋も見ていました。寺井の同僚の検事の越川も2人のYouTubeを注視していました。
寺井自身は息子たちの行動を本当の意味で理解しようとはしていませんでした。今までの常識から、今までの自分の人生経験からすれば理解不能な息子たちに。しかし、それが少しずつ家族との間に亀裂を生んでいきます。
時は令和になる寸前のこと。各章の頭に令和までのカウントダウンが書かれています。
そうして、物語はある真理にたどり着きます。
人間がセックスの話をしているのは、常に誰かと正解を確かめ合っていないと不安なくらい、輪郭がわからないものだからだ。
途端、ドミノの一つ目が倒れたように、これまでの人生で抱いてきた数々の不思議が、あるべき場所に収まっていく気がした。
みんな、不安だったのだ。
不安だから、苺のパンに興奮するかどうかを確認してきたのだ。
(中略)
まともな側の岸にいたいのならば、多数決で勝ち続けなければならない。そうじゃないと、お前はまともじゃないのかと覗き込まれ、排除されてしまう。
(中略)
みんな本当は、気づいているのではないだろうか。
自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が”多数派でいる”ということの矛盾に。
すごく長い引用になったのですが、人って、不安だから多数派になろうとします。みんな、まともじゃない何かを隠しながら生きています。
トーコだってそうです。人に見せることができないくらいのまともじゃないものを抱えながら生きています。
それらを分かっていて、佐々木と夏月、諸橋は絶望しているのでしょうね。そこでうまくつながろうと試みます。
夏月を参考人として取り調べたとき、寺井は夏月が言うことが妻から言われたことと重なります。まさかここで一致するとは…。
しかし、八重子だけはちがっていました。大きな何かをこれから作っていくエネルギーに変えればいいのでは、と言います。
そこにこの物語の希望があります。繋がり。
繋がりも繋がり方を間違えれば、大変なことになります。ですが、八重子の言う通り大きな何かを作っていくエネルギーに変えられます。
だから「正欲」なのでしょうね。
■最後に
今までの朝井リョウ作品を超える何かがある作品です。多様性や繋がりが朝井リョウの視点からはこのように描かれています。
物語から離れて初めてテーマが多様性や繋がりといったものだということに気がつきます。
それくらい、この物語の世界にのめり込まれます。
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これまでに紹介した朝井リョウ作品です。
15.『少女たちは卒業しない』、179.『何様』、224.『死にがいを求めて生きているの』
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