こんばんわ、トーコです。
今日は、石沢麻依の『貝に続く場所にて』です。
■あらすじ
ドイツに住む私は、震災のあの日仙台で学生をしていた。その時の震災で野宮が行方不明になった。
そんなある日、2020年のドイツに行方不明のはずの野宮が現れる…。
■作品を読んで
この作品は今年(2021年)の芥川賞受賞作です。しかもこの作品がデビュー作という、結構な大型新人でもあります。
なので、作者の今後にも期待なのでしょうが、どうだろうか…。
著者の次の作品になるものを想像してみたのですが、なんか想像ができないです。一気に明るいものが来るのか、いや違う。
ドイツ在住だから多和田葉子路線か、それも違う。第一、人物が異なれば感じ方は違うはず。
なんというか、それくらい今後の作家活動の道筋が全く見えてこないのです。下手するとこれが最後…、いやそうあってほしくはない。
まあ、作者の今後は置いておいて。記念すべき芥川賞受賞作の紹介です。
この作品は、2020年のドイツに住むわたしのもとに、2011年3月の震災で行方不明になった学生時代の友人野宮が現れます。
本来であれば10年ぶりの再会って喜びや久しぶり感にあふれ、もっと華々しいもののはずです。
しかし、日本での学生時代は仙台で送っていたこともあってか、当然震災が影を落とします。野宮は石巻市の実家におり、津波で行方不明になっていました。
また、私の学生時代の友人でもある晶紀子も気仙沼市にあり、家族は無事でしたが家が津波で流されてしまい、それまで積み重ねてきたものをすべて失ってしまいました。
私は仙台でも山の方の実家で被災したので、割と無事な方にあたるのでしょうが、それでも震災は私に様々なものをもたらしています。
おそらくですが、私=作者な気がします。作者は東北大学大学院文学研究科修士課程修了で、現在ドイツ在住です。美術史の話が結構出てくるのですが、美術史は文学研究科で学ぶことは可能なはずです。
なので、これはトーコの仮説ですが、学生時代と専攻の話はおそらく実話なんだと思います。
行方不明になった野宮のドイツ訪問は、野宮と仲の良かった澤田から聞いていました。
久しぶりの再会で戸惑う様子と、マスクという2020年を象徴するアイテムにより、野宮の顔の下半分は見えていません。
必死に記憶をたどるも9年の歳月は野宮への記憶をおぼろげにさせていました。この様子をこんな言葉で描きます。
私も犬も、そして野宮もまた遠目から見れば、色彩を失って白の中に溶けて消えていくように見えることだろう。その白は記憶の遠近感を曖昧にする。しかし、時間の断絶や距離を、それで埋めることは出来なかった。
私や犬、野宮もはた目から見れば普通なので、現地の空気にうまくなじむのだと思います。けど、9年の歳月と日本とドイツとの距離を埋めるのは容易ではありません。
それが私と野宮の再会のシーンでした。戸惑いしかない再会のシーンです。
それから、ドイツのゲッティンゲンの街を歩きながら、野宮との記憶を静かにたどります。
家に戻ってから、野宮の来訪を伝えた澤田と話をします。澤田もまた、にわかに信じられない想いなのだということを悟ります。
野宮を知る誰もが、野宮の存在が信じられず、9年間の歳月に追いつけず、封印していた記憶を無理やりこじ開けることになり、行き場のない感情に戸惑いを隠せずにはいられませんでした。
まあ、普通ではない状況です。誰もが野宮の存在にいろいろと追いつかないと思います。理解の範疇を超えているのですから、まあ当然か。
私はドイツでウルスラという女性に出会います。彼女はもともとドイツ語と文学の教師で、幅広い交友関係を築いていた人でした。
ウルスラ自身は意識していなかったのでしょうが、私にはその幅広い交友関係が星座のようであると表現しています。
なんか、この表現がすごく味噌な気がします。著者の感性が出ています。
そこで、アガータという知り合いを見つけます。ウルスラとアガータとの交友関係によって、私が現在ドイツにいることを明示します。
アガータと親しく話をしている理由が物語の終盤で明らかになります。
それは、アガータもまた自分のいる間に母が自殺するという悲しい出来事に巻き込まれていたからです。
鈍感な自分の眼差しを重ねて責めれば、徐々に記憶は崩れてゆくのだった。気づいた時にはもう、母親との最後の時間を過ごした記憶は、別のものに変容してしまった。痛みや罪悪感に塗り潰された、原形を留めない時間。その意味において、アガータは記憶喪失者であるのだろう。
アガータの母の自死を聞いたとき、上記のように私は考察します。
アガータの場合は、自分のせいで、と責めてしまったことを大きいですが、記憶がいろいろとごちゃごちゃになっている様子がうかがい知れます。
アガータの愛犬のトリュフ犬は、よく他人の記憶につながるものを拾ってくるという特技を持った犬です。
このわんこが最後に、野宮の過去につながるものを拾い、野宮が私に見せます。そこであることに気が付きます。
私が恐れていたのは、時間の隔たりと感情が引き起こす記憶の歪みだった。その時に、忘却が始まってしまうことになる。野宮が見つからないまま、時間だけは過ぎていった。
…(中略)記憶の痛みだけではなく、距離に向けられた罪悪感。その輪郭を指でなぞって確かめて、野宮の時間と向かい合う。その時、私は初めて心から彼の死を、還ることのできないことに哀しみと苦しみを感じた。
少しずつ薄れていく記憶ではなく、少しずつ人々から忘れられていくその隔たりが怖くて自分の中の記憶に蓋をしていたことに気が付きます。
9年後に突然現れた野宮もわかってはいます。トリュフ犬が拾った貝殻は、野宮にとっては野宮の場所をつなぐもので、痛みの籠った記憶のモノでした。これでやっと野宮は故郷に帰れることも。
これでやっと、私も野宮の死を受けいることができました。その情景はとても静かで穏やかなものでした。
この情景が恐ろしく静かに、静謐に淡々と語られています。本当にこの著者が次に見せる作品って一体何になるのやら、と本当に心配になります。
デビュー作なのに、なんだか出来過ぎている。
■最後に
2021年の芥川賞受賞作です。恐ろしいデビュー作でもあります。今後の活躍が楽しみな方でもあります。
今この世界と過去を静かに織り交ぜながら展開されていく、時間と記憶の物語です。