こんばんわ、トーコです。
今日は、小塚荘一郎の『AIの時代と法』です。
■あらすじ
自動運転、仮想通貨、シェアリングサービス、AI技術の普及など。現代社会ではこれまでの概念とは異なるものが少しずつですが普及しています。
それに伴って、法や契約からコードへと変化していくことにもなります。
AI時代の法は今の法からさらに変容します。そもそも法ってなんだ、というところにもかかわってきます。
本書は、AI時代に生じる法の問題と、対処策を示しています。
■作品を読んで
もともと日本の法って、新しいものについては実際に起こってから法制度を追いつかせるという、まあ後から追いつかせるという印象があります。
おそらくですが、AI時代が来るとわかりつつもあとから追いつかせるんだろうな、という推測ではありました。
それにしても、法がAI時代に追いつかせるためには相当のパラダイムシフトがいるんだなということがよくわかります。トーコが予想していた以上のインパクトを与えるパラダイムシフトが。
さて、作品に戻りましょう。
まず、様々なテクノロジーが普及しつつある世の中で、どのような点で法に対応を迫るのか、法の側では求めるための対応をとるための十分な用意ができているのかを掘り下げていきます。
トーコが驚いたのは、運転についてです。運転についての国際法が世界には2つあり、日本で締結している条約ののっけからこう規定されています。
車両…には、それぞれ運転者がいなければならない。
まさかこれが国際法で決まっていたとは…。結構口をあんぐり開けました。当たり前も法で定められていたのですね。
自動運転のレベル4から上は、日本の道路交通法とさっきの国際条約を改正する必要があります。車乗るのに運転する人がいないといけないのですから。
余談ですが、レベル4というのは、高速道路上など特定の領域に限って、自動運転システムがすべての動作を実行する段階のようです。
まあ、解釈を変えればレベル4なら何とかなるんじゃ、と思うのが素人なのでしょう。
これが、新技術の実現に対して法が障害になっているケースの例です。
意外にも、サブスクリプション型の取引にも法的には困った事態が発生しています。
というか、従来はモノサービスのため、製造物責任を負わなければなりません。製造物責任を負うとはすなわち、製品に組み込まれている欠陥も対象になります。
サブスクリプション型、というよりソフトウェア全体に言えることだが、ソフトウェアは販売してからバグが見つかることが往々にしてあります。
Windowsアップデートやらスマホアプリのアップデートとかが該当します。
一応ですが、どのソフトウェア会社も製品を引き渡した後のバグの修正はきちんと出していますが、製造物責任法では欠陥を「通常有すべき安全性を欠いていること」とされています。
つまり、動くものへのアップデートといった補償については規定がないのです。よくよく見ると、これもかなりグレーゾーン。
もちろん、今のところメーカーが責任をもってソフトウェアの修正を配布していますが、将来的にどうなってもいい状態のようです。
また、AIシステムが普及しても、手動スイッチを付けたままという案もあるが、これも一刀両断します。
実世界ではそれでいいかもしれません(どのタイミングで手動に切り替えるかの判断を迫られるという問題はあるが)。
しかし、法的な意味で安全性が確保されていると評価できることとは、まったく別問題であると述べます。あー、なるほど。
もはや自動運転車とソフトウェア、AIを切り離すのではなく、自動運転自体がプラットフォームとしてとらえるのがいいようです。
プラットフォームが普及していくと、やがて法からコードに変わっていくことが予想されます。
プラットフォームが力を持ちすぎる可能性もあります。一方で、国家は警察力と軍事力は変わらず保持し続けます。
プラットフォームと国家が力を持ちすぎて、人々は不安を抱えるでしょう。
とはいえ、コードに変わっていくことで、法律学で議論しなければならないことがたくさんありますがね。
最後の章は「法の前提と限界」という名前。なんか、色々と総括しています。
今後の社会では、人間が自律的な判断から機械による判断になります。まさかまさかの法の前提条件が崩れていきます。
日本の近代法は、西洋社会から輸入してきたものでした。いうなれば、最初から「サイズの合わない既製服」を着ている状態でした。
実務と法が伴わないのは今に始まったことではありません。
著者も、AIと法は「サイズの合わない服」を着ている状態で、ある種の気持ち悪さを感じていたようです。
最後に日本の法についてこんな展望を述べて終わります。
利害関係者や社会とのつながりを大切にする日本のコーポレートガバナンスがAIやデジタル技術の時代に適合的な面を持っているとすれば、AIと「法」の関係について自覚的に考え、「法」の限界を意識しつつAIのよりよいガバナンスを模索していくことは、日本にこそふさわしい役割であると言えるであろう。
法の限界がよくわかる日本だからこそできることがある。意外と希望のある形で終わります。
■最後に
AIという新技術が、法にもたらす影響を様々な角度から論じています。
法律学が最新テクノロジーを定義させるためには様々な議論が行われるでしょう。
一体どのような「法」になっていくか、注力していく必要があります。