こんばんわ、トーコです。
今日は、福永武彦の『草の花』です。
■あらすじ
私は、療養中のサナトリウムである男と出会った。男の名前は、汐見茂思。彼は、なぜか当時かなり難易度の高い手術を自ら志願し、術中に死亡します。
手術前、私は汐見から2冊のノートを託します。汐見の死後、ノートを見てほしいと念を押されて。
■作品を読んで
これを選んだきっかけが、まさかの292.「ぜんぶ本の話」。この本の著者の池澤夏樹の父親が、福永武彦ということを「ぜんぶ本の話」で触れられています。
この舞台は、福永武彦が実際に療養していた東京のとあるサナトリウムが舞台となっています。
とはいえ、汐見は福武と何かを組合せた創作の人物だと思われます。というか、ちゃんと福永武彦って完治してシャバにちゃんと戻ってきて、作家活動し、池澤夏樹に世界文学全集を送っていたはず。
以上、超ざっくりとした福永武彦の紹介でした。
さて、作品に戻ります。
この作品は、ほとんど自殺のような手術を受けて死んだ汐見から託された2冊のノートを読み進めることからが、真の物語のスタートです。
術死までが大体50ページくらい割かれており、文庫本の後ろのあらすじに書かれている2人の最大の登場人物たちが全く出てこないので、多分たいていの人はここまででかなり慌てることでしょう。トーコもそうでしたから。
まず、1冊目のノートは「第一の手紙」。これは、主に18歳のころ、部活で一緒だった藤木忍という後輩との愛をつづったものです。
えっと、多くの人はおそらくこの筋書きに戸惑うのではないでしょうか。一体どんなものよ…、と。
というか、「第一の手紙」ののっけから、難易度の高い手術に自ら志願したわけがつかめます。
人はすべて死ぬだろうし、僕もまたそのうちに死ぬだろう。そんなことは初めから分かっている。
…(中略)、この僕のように、或る一定の時間が過ぎ去れば、僕の身体は冷たくなり、雨や風や自然の土塊とこの僕との間に、もはや何の区別もなくなることを知っている人間には、事情がまったく別なのだ。僕は死ぬ。僕は確実に死ぬ。
汐見がサナトリウムで過ごす姿はどこか世捨て人のようでしたが、まるで確実に訪れる死に向かって一体何ができるのか、ということしか考えていなかったようです。
人生にもう悔いはない。むしろ、早く殺してくれと言わんばかりに危険な手術に臨んでいたことがわかります。
では、ここから本題の内容に入ります。
藤木忍との出会いは、高校の弓術部でした。
ちなみに、彼らが高校生のころというのは1930年代で、この時代の高校は今でいうところの大学の教養課程くらいに相当します。なので、合宿が伊豆のどこかという設定なので、今の大学生と何ら変わりはないです。
それにしても、会話の所々にいきなり哲学関係のドイツ語やフランス語が入ってくるので、なんかませてるというか、ただ使いたいだけなのかよくわからんという気分になってきます。
汐見は藤木がいろいろと気になります。藤木は何を考えているのやら、船に乗るといってもそんなに身体が丈夫じゃない彼は果たして無事に帰ってこれるのか。
そこには、恋というのかまるで弟のように心配する兄のような目線やら、恋というよりは実は友情の延長なのかわからないものが漂っています。
そんな中、汐見は合宿にOBとして指導にやってきた春日に藤木への想いを打ち明けます。それを聞いた春日はこういいます。
君はいま夢中になっているから分らないだろうけどね、そういう時期は誰でも一度は経験するのだ。…、子供の時代には人間は、…(中略)、つまり男女両性的なんだね、そのあとにホモセクシュアルな時期が来る。そうして大人になるんだ。だから君の今の状態は過渡期的なもので、いずれは麻疹のように癒ってしまうさ。
この場合の恋というものが、どちらかというと一般的な恋愛感情と異なるものであることは自明のこと。
で、どんな意味だよ、と思った時の答えがこれ。男女両性的、限りなく友情に近いけどなぜか同性の友人に対して変な恋愛感情を抱いてしまったこと。そういえば、トーコも1回だけあった。なんでこの人に恋愛感情みたいなものを抱いているのやら、と思ったことがありました。15歳のことですが。
この場面は、さらに汐見が藤木に対してこういうふうに想いを抱えています。
当の本人は、自分が美しい魂の持主だなんて考えてやしませんからね。僕は藤木のそういう謙虚なところがたまらなく好きなんです。藤木の魂を理解しているのは僕だけです。
うーん、確かに春日の言う通りこれは恋というよりも限りなく友情に近いものですわね。
それから、汐見は藤木に想いを打ち明けますが、当然ですが気味悪がられます。
さらに、藤木は早くに父親を亡くしており、母親と妹との生活を送っています。母親からの愛情から早く自立したいという思いを持っているようで、1人で歩きたいという思いが強いようです。
汐見の片思いは見事に砕け散りました。なお、藤木はそれから2年ほどたったのち、なくなります。享年19歳でした。
「第二の手紙」は、藤木の妹の千枝子と汐見との間に起こったことを記しています。
「第一の手紙」から6年が経過し、汐見は24歳になっていました。大学を卒業し、イタリア関係の文化財団に勤務していました。とはいえ、時は戦時下です。兵隊検査を行い、第二乙種の第一補充兵と言い渡され、友人たちからも兵隊にとられる人が増えていった頃でした。
当時の汐見はかなりやけくそになっていました。これ以上生きていても兵隊にとられてしまうので、なんの希望もありませんでした。
「第一の手紙」でところどころ登場していた千枝子も女子大に入った20歳の女性になっていました。今度こそ、本当の意味での恋愛感情です。
千枝子はあるとき、汐見の下宿を訪ねます。そこで、汐見の書いている小説を読みます。そこに書いてあったのは、神格化されていた自分の姿でした。
千枝子は、かつて汐見が藤木(自分の兄)に恋をしていたことは薄々と感じていました。今度は自分に矛先が行ったのではないか。汐見は本当に今の自分が好きなのか、なかなか確信が持てずにいました。
それでも汐見と千枝子は会い続けます。汐見は千枝子のことは好きでした。しかし、いつ戦争に行き、死ぬかもしれないという刹那的な中で千枝子に対してぶつかっていく勇気はなかったのかもしれません。
汐見は応召前最後の自由時間でピアノコンサートに行くことにしました。当時千枝子は汐見の友人と婚約することになったので、友人として誘うことにしました。
しかし、そのころ千枝子は風邪がひどく外出ができかったこと、婚約したばかりの娘への手紙を見た母親が手紙を開け、千枝子の体調にさわりのないよう汐見が召集されていることを伏せていました。なので、2人は2度と会えぬまま時が過ぎ去ったのでした。
のちに、私から千枝子宛てに汐見がなくなったことを伝える手紙を送り、千枝子から私宛てに返事が来ました。その中でこう述べています。
わたくしは、芸術家というものを理解できませんでした。わたくしのような平凡な女が、もしあの方と一緒になれば、お互いに不幸になるだけだと一途に考えておりました。
…(中略)今いっそうはっきりと感じますことは、汐見さんはこのわたくしを愛したのではなくて、わたくしを通して或る永遠なものを、或る純潔なものを、或る女性的なものを、愛していたのではないかという疑いでございます。
20歳の千枝子はちゃんと気がついていたようです。おそらく気が付いた瞬間から気味悪いものを感じたと思います。
だから、汐見は千枝子に対しても夢破れることになり、そのまま召集列車に乗るのでした。誰も愛してくれなかったという絶望を抱えて。
一見汐見が1番大人に見えるような気がしますが、実は逆で、周りの人間の方がなかなか状況や自分の中をうまく整理している気がします。
汐見は意外と幼かったのかもしれません。トーコの解説(?)はなかなか青春の鎮魂歌なんというものにはならないようです。
それにしても、なかなかゆがんだ青春やな、と思うトーコでした。
■最後に
サナトリウムで世捨て人のごとくクールに過ごし、自殺のような手術で亡くなった男の姿を描いた作品です。
叶わぬ夢と現実の愛が分からないままに人を想うというのははかなくもあり、一方的に苦しいことでもあります。